プレッシャーから解放された子育て
では、雅子皇后の子育てはいかなるものなのだろうか。それは紀子妃とどう違うのだろうか。
雅子皇后の場合、結婚後に世継ぎを生まなければならないという強いプレッシャーを受け続けた。のちにそれが適応障害に結びついた可能性があるが、ようやく授かったのは、男の子ではなく女の子だった。
それは、次こそは男の子というさらなるプレッシャーを生んだはずだ。しかも、国会では、愛子内親王を次の天皇にする方向での議論がはじまった。あるいは自分は、久しぶりに現れる女性天皇の母になるのかもしれない。同時に、そうした思いを抱いたはずだ。
ところが、悠仁親王が誕生したことで事態は根本から変わる。それによって、雅子皇后は世継ぎを絶対に生まなければならないというプレッシャーから解放された。しかも、娘を将来の天皇にする責務からも解放されたのだ。
そこには複雑な感情が渦巻いた可能性もある。本来なら、自分が男子の親王を生み、それを育てるべきだったかもしれないからである。そのあたりの気持ちは、外側からは想像が難しい。
娘を守り抜いた雅子さまの子育ての結実
ただ、それによって、愛子内親王をあくまで一人の女性として育てる道が開かれた。紀子妃のように、将来の天皇を育て上げなければならないという重大な使命感を持つ必要がなくなったのだ。
もしも雅子皇后が女の子ではなく男の子を産んでいたら、適応障害の現れ方も変わっていた可能性がある。良い方向にむかっていたかもしれないが、帝王学の必要を過剰に感じて悪化していたことも考えられる。
愛子内親王も、学習院初等科では不登校を経験し、雅子皇后が付き添って登校することもあった。私も娘の不登校に悩んだ経験があるが、そこまで徹底して子どもに寄り添うことはかなり難しい。雅子皇后は娘を守り抜いたのである。
その後、愛子内親王は不登校からも脱し、落ち着きのある包容力のある女性へと成長していった。それも、雅子皇后が娘を守ることに徹底できたからであろう。愛子内親王が天皇と2人で行動する機会が増えたことも、雅子皇后の精神的な負担を軽減する方向に作用している。
確かにその面はあるのだが、そこに重大な問題が生まれた。

