皇室に繋がった「お市」の娘
・お市の方 (近江小谷城の浅井長政の妻、のち柴田勝家に再縁。お市の方)は、信長が同盟を結んだ浅井長政のもとに永禄4(1561)年頃に輿入れしたらしい。茶々(豊臣秀吉側室)、初(京極高次正室)、江(佐治為次、豊臣秀勝、徳川秀忠の正室)の三姉妹らを生んだが、天正元(1573)年に小谷城が落城し、長政は自刃。お市の方は3人の娘と落ちのびた。天正10(1582)年8月に柴田勝家に再縁したが、翌天正11年に賤ヶ岳の合戦で勝家が秀吉に敗れ、居城・北ノ庄城(福井城)で勝家とともに死去した。
お市の方の長女・淀は秀吉の側室となり、嫡男・秀頼を生んだ。次女・初は浅井家の旧主・京極高次に嫁いだ。三女・江は前述のとおり、はじめ佐治与一郎一成と婚姻したが、一成が改易されて離縁。秀吉の甥・豊臣小吉秀勝と再縁。一女・完子をもうけたが、秀勝が戦病死して、徳川家康の嫡男・秀忠と結婚した。
なお、秀忠・江夫妻の長女である千姫は秀頼と結婚。娘の初姫は京極高次の庶子と結婚。息子の徳川忠長は、江の強い希望で織田家直系の娘と結婚している。近親で婚姻関係を固めようとする江の気持ちがよくわかる。
そして、江と秀勝の娘・完子が関白の九条幸家に嫁ぎ、約300年後の明治の世に、九条家から大正天皇の妃(節子皇后)が出たことから、その血脈は現在の天皇家にも繋がっている。




