信長が同母弟を殺した真相は…

信秀の三男・織田勘十郎信勝(中沢元紀)の母は、信長と同じ土田どた御前(信長の母)。

父・信秀は那古野なごや城から古渡城・末盛城へ移転する際、信長を那古野城に置いて、それ以外の子女を連れて行ったらしい。天文21(1552)年3月に信秀が死去すると、末盛城の主は信勝となった。

信秀の死後、信長附きの筆頭家老・林秀貞(諏訪太朗)が信長から離反し、信勝や柴田勝家(山口馬木也)ら末盛城附きの武士を仲間に引き入れ、信長・信勝兄弟を不和に導いた。林・柴田らが連合して信長と稲生いのうで合戦に及び敗退、蟄居を余儀なくされた。柴田勝家が信長方に信勝の謀叛むほんを告げ口。永禄元(1558)年11月に信長は仮病を使って信勝を清須城に招き入れ、暗殺した。