四国攻撃軍の渡海阻止は可能だったか

藤田氏は以下のとおり、光秀が6月2日に挙兵した一つ目の理由として、織田信孝(信長の三男)が率いる四国攻撃軍の四国渡海を阻止するためだったと述べる。

6月2日、信長の命を受けた信孝は、大坂から四国に渡海し、長宗我部氏を討とうとした。

藤田氏によると、「光秀は、長宗我部氏を危機から救い、その軍事力を活用するべく、四国攻撃軍の渡海を阻止せねばならなかった。そのためには、信孝が出陣する前にクーデターを起こす必要があった」と指摘する。