なぜ簡単に崩壊したのか

この合戦は豊臣政権内部の権力闘争であったものの、家康は慶長8年(1603)2月に征夷大将軍に就任し、2年後の同10年(1605)4月、将軍職を嫡男の秀忠に譲り、徳川による権力の世襲を天下に示した。そのうえで同20年(1615)5月、大坂夏の陣で豊臣氏は滅ぼされた。

このように豊臣政権は儚かったが、秀吉が築いた絶対的な権力構造は、なぜこうも簡単に崩壊してしまったのか。

これに関して2025年12月末、NHK・BSで「豊臣政権サミット2026 ~なぜ豊臣政権は崩壊したのか~」という番組が放送され、研究者らが討論した。そこでは豊臣政権崩壊の要因についていくつかの説が提示され、意見が述べられた。