少子高齢化の日本は、外国人なしには立ち行かない。一方で、急速に増える「移民」や外国人旅行者の存在に不安や戸惑いを覚える日本人がいることも事実だ。
しかし、しばしば聞かれる、いわゆる「外国人問題」は本当に「問題」なのか? 本特集では、移民・不動産・留学生学費・観光客・参政権・社会保障・治安の7つの争点を国際比較で検証する。まずは移民研究の第一人者である是川夕氏と共に、移民国家ニッポンの実態を見てみよう。
いま日本には約305万6000人の外国人が暮らし、総人口の約3.2%を占める。世界的にはどういう人が「移民」とされ、日本国内の移民はどういう人たちなのか。新著に『ニッポンの移民――増え続ける外国人とどう向き合うか』(ちくま新書)がある国立社会保障・人口問題研究所国際関係部部長の是川夕氏に聞いた(聞き手は・小暮聡子、深田莉映)。
――なぜ今、日本で「外国人問題」が浮上しているのか。
1つは、数が増えていることだ。数字で見ても、戦後を通じて今の増え方は過去最高のペースで、年間30万人超の増加となっている。このペース自体は、日本がこれまで経験したことのないもので、そういう意味では不安に感じるだけの新規性は確かにある。
もう1つは、移民政策が不在だったという意識だ。これは保守、リベラルを問わず共通していて、新しい現象に十分対応できていないのではないか、という不安感につながっている。おそらく、その点が大きい。
もちろん、その手前には経済的不安などさまざまな要因がある。ただ、それらの問題が必ずしも外国人に帰結する必要はない。外国人への関心や不安が強まっている理由としては、いま述べた2点が大きいと思う。
――日本は実態として移民を受け入れながら、「移民政策」を取ってこなかったのはなぜか。「移民」という言葉をあえて避けてきた背景は。
理由は大きく2つある。1つは、「移民」という言葉を使うと国民を不安にさせる、という政治的な判断だ。これは間違いなくある。
ただ、より根源的な理由として、日本の行政や法律制度において「移民」という言葉が公式に使われたのは主に戦前だ。戦前の朝鮮半島や中国大陸、南米への移民送り出し事業がそれに当たる。当時は国が公式に「移民」という言葉を使い、制度として管理していた。
戦後になると、それが植民地支配や対外侵略と結び付いたものだったという認識から、制度や機関は解体され、「移民」という言葉自体も帝国主義的な過去のものとして、制度上はいったん終わった。その結果、南米への送り出し事業を除けば、戦後の日本の行政が「移民」という言葉を公式に使ったことはない。
一方で、「移民政策」という言葉にはさまざまな歴史的定義があるが、機能的に言えば、人の移動をどう管理するかという政策だ。国境を越えた人の移動をどう扱うか、ということに尽きる。
人の移動には、短期で来てすぐ帰る人から、一定期間滞在する人、さらには長く住む人まで、さまざまな形がある。移動のポートフォリオには幅がある。戦前の日本が想定していた「移民」はその中でも最も滞在期間の長い人たち、つまり国外に渡って半永久的に暮らす人を指し、そこを対象に移民政策を行っていた。
戦後の日本は、自由主義・資本主義国家として人の移動を広く認めなければ社会経済が成り立たない。金融や財の取引と同じで、さまざまな移動を管理する必要があり、当初は短期滞在者を中心に扱ってきた。
しかし経済成長とともに移動は活発になり、滞在が長くなる人や家族を持つ人が増えてきた。これは日本人が国外に出る場合も同じだ。
その結果として、滞在期間の長い、昔で言えば移民に近い人たちが増えてきた。隠してやってきたというより、自由主義国家として多様な移動を認めてきた結果だ。

