“血を吐いても”続けた八雲の世話

9月27日、籠手田知事が雛人形を見せるというので八雲を伴って訪問。ここから西田と八雲の付き合いは一気に濃くなる。

翌28日、日曜日。八雲と一緒に「清楽(中国発祥の民謡・俗謡。明治中期に大流行)」を聴きに知人宅へ。10月3日には彫刻家・荒川重之助を訪問。10月9日から11日までは三日連続で松江の街を探訪……。

日本文化への旺盛な好奇心を持つ八雲にとって、博識な西田は最高の案内人だったのだろう。本業も相当忙しいはずなのに、同行しているあたりに西田の聖人ぶりが表れている。

精力的に八雲の世話をしている西田だが決して体調はよくない。10月26日には「突然両3回喀血」とある。なのに注射を打って「約束アリ、止ムヲ得ズヘルン氏ノ長演説ヲ通弁ス」と、仕事を続行。翌日は完全に寝込んで「喀血未ダ全ク止マズ」の状態になっている。

ようやく回復したのは11月に入ってからだが、今度は途端にパワフルになる。11月15日には八雲に誘われて「近郊車行運動」とある。翌日からも連日のように八雲が各所に訪問するのに同行。この合間に学校の仕事もこなしているわけだから「ちょっとは休め」といいたくなる。

病床にあっても酒を振る舞った

その無理がたたったのか、12月に入ってから西田はまた病気を悪化させている。特に12月17日の日記からはかなり悪化させていることが窺える。

喘息ト呕気(註:嘔気、吐き気のこと)ノ為、殆ド少シモ身体ヲ動カシ得ズ。苦悩極点ニ達セリ。夜ニ入リテ始メテ半椀喫飯。

西田の日記は普段、簡潔にその日の出来事だけを記している。そんな西田が「苦悩極点ニ達セリ」とまで書いたのは、相当体調が悪化していた証拠だろう。

この時期、八雲もたびたび見舞いに訪れ、手紙を送っている。実は八雲自身も12月頃から体調を崩していた。それでも訪問は欠かさない。献身的に尽くしてくれる西田を、八雲も本当に心配していたのだ。

ラフカディオ・ハーン
ラフカディオ・ハーン(写真=ELIZABETH BISLAND『The life and letters of Lafcadio Hearn』より/Files from Flickr's 'The Commons'/Wikimedia Commons)

日記には八雲の見舞いに「小酌」という言葉も出てくる。病床にありながら、わざわざ訪ねてくれた八雲に酒を振る舞ったのだ。なぜそこまでするのか。

当時八雲が滞在していた冨田旅館から、松江市雑賀町の西田宅までは徒歩15分ほどの距離がある。冬の寒さで体調を崩している八雲が、凍えるような中をわざわざ訪ねてきてくれた。その厚意に、床に伏したまま話だけで応えるわけにはいかない……西田にはそんな想いがあったはずだ。