「八雲の世話」も自分から申し出たか
頭脳明晰な人だけに生徒からの支持は絶大だった。……働かせすぎである。現代なら確実にブラックすぎる職場として大問題になるだろう。いや、現代でも教師の長時間労働は問題になっているが、西田の場合はそんな生易しいレベルではない。管理職と平教員を兼務し、6科目以上を担当。これは「働き方改革」以前に、単純に人間を壊しにかかっている。
ここに加えて「新しい外国人の先生が来るので世話を頼みます」となったわけだ。常人なら「無理です」「ふざけんな」となるだろうが、西田はそうならなかった。むしろ、次のように西田が自分から世話を申し出たのではないかと考える識者もいる。
前任のタットルは教師として機能せず、生徒たちが困っていた。今度こそまともな英語教育を……そう考えたとき、まともに英語が話せる教員は限られている。「だったら俺がやるしかない」。そんな使命感が、西田を突き動かしたのだろう。まさに「聖人」である。
“献身ぶり”に信頼を寄せた八雲
ただ、1890年8月30日に八雲が松江にやってきた日からつきっきりだったわけではない。『西田千太郎日記』によれば、8月30日の次に八雲が登場するのは9月2日。この日は学務課から要請されて、八雲が県知事と会う時の通訳を務めている。
当初、八雲は横浜で知り合った真鍋晃を通訳として同行していた。ところが9月下旬になると、日記に八雲の名前が頻繁に登場するようになる。真鍋が早々に八雲のもとを去ったからだ。
八雲が最初に滞在した冨田旅館の資料によれば、真鍋は東京から女性を呼び寄せるなどして八雲を激怒させたという。英語はそこそこできても、人間的に信用できない。八雲は真鍋を追い返した。
では誰に頼るか。そこで浮上したのが西田だった。英語ができるだけではない。博識で、人格的にも申し分ない。何より教育への情熱が本物だ。
八雲は人見知りが激しく、誰とでも打ち解けるタイプではなかった。だが「この人は」と思った相手には、とことん入れ込む。西田はまさにそんな存在だった。多忙にも拘わらず、八雲の世話を献身的に引き受ける西田。その誠実さに、八雲は信頼を深めていったのだろう。

