子育ては「苦役」じゃない

【内田】フェミニズムの影響もあるかもしれないんだけれども、育児や家事が「シャドウワーク」として苦役、不払い労働であるというふうに語られたことがよくなかったと思うんです。子育てってそういう苦しい側面ももちろんあるんだけども、そればかりではない。

子育てというのは、人を成熟に導く、大変得難い経験です。そういうことを言ったら、フェミニストから手厳しく批判されたことがありました。「子どもが産めない人間は成熟できないということなのか」と。そんなことは言ってないんですけどね。

基本的に僕の立場は変わっていません。育児ってすごく楽しい経験なんです。自己陶冶の最高の機会だと思うけれども、そのことが全然アナウンスされない。不払い労働であって苦役である。だから旦那がもっと協力すべきだとか、行政がもっと支援する形でこの「苦役」を軽減しろと。育児をそういう文脈で語るのは育てられる子どもにとっても気の毒です。

僕は育児を経験して、この世にこんな楽しいことがあるんだろうかと思ったぐらいです。僕は子どもが生まれた時は大学の助手で、学校は週2日行くだけでよくて、あとは非常勤講師と予備校講師をしていただけなのですごく暇だったんです。だから子どもの送り迎えは僕がやってたし、病院に連れてゆくのも僕がやっていた。だから、保育園の卒園式で、僕が保護者代表で謝辞を述べたんです。父親が保護者代表をしたのは僕が開園以来最初だったそうです。園の行事にフルエントリーしてましたからね。

一緒にいる時間が母親よりも僕のほうが長くなると、こっちもお母さんみたいになっちゃいますよね。それがおもしろくておもしろくて。ただ、じっと見つめあってるだけで本当に幸せだった(笑)。なんでこんな楽しいことを「苦役」だって言うのか、よくわかりませんでした。

内田樹さん
写真=島本絵梨佳
内田樹氏

楽しく健康に育てば「100点」

ご存じの通り、そのあと離婚して父子家庭になるわけですけども、父子家庭になった時に、子どもがいるせいで、学者としての自分のキャリア形成が妨害されているという考え方をするのは絶対にやめようと決意しました。学問的業績なんかどうだっていい。家事をきちんとやって、この子が楽しく健康に育ってくれたら、それで自分に「100点」を上げようと決めました。

もし暇な時間があったら、それは「ボーナス」としてありがたく頂いて、その時間に本を読んだり、論文を書いたり、翻訳したりする。でも、それは「余暇」にやることで、とにかく子どもを育てる方が最優先。三食栄養のあるものを食べさせて、ちゃんとアイロンをかけた服を着せて、乾いた布団に寝かせてあげて、家の中では基本的にいつも穏やかににこやかに。それができたら十分だと思っていました。

だから、そうやって12年間子育てしてたんですが、ストレスはほとんどなかったですね。

【養老】これを楽しむ者にかず、というんです。孔子が『論語』で、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」といっていて、「楽しんでやるのが一番」だと。

【内田】なんで育児を自己実現を妨害する「苦役」だというスキームで論じるのか、僕はどうしても納得がゆかないんです。それだと苦しいばかりでしょう。僕は12年間「主夫」に徹しましたけれど、それで学術的な活動が阻害されたとはまったく思っていません。