昔の子育ては「農業的」だった
【内田】そうそう(笑)。結局子育ては工程管理なんかしないほうがいいんです。親がなくても子は育つんです。親や教師の手の及ばないところで子どもはちゃんと成長してゆきますから。
【養老】さっきも言ったけど、それが「手入れ」ですよね。「手入れ」と言っても、今は警察の手入れだけになっちゃったけど(笑)。自然に対してどう手を入れるかという。
【内田】子どもも自然物ですからね、人間の手はある程度以上は及ばないんです。だから、そこはもう自然にお任せする、と。子どもは自然存在なんですから、どういう果実に育つかなんて親にはわからない。とりあえず毎日機嫌よく生きてもらえれば、それでいい。
「内田さんの子育ての基本理念は?」と訊かれた時はいつも「生きていてくれさえすればそれでいい」と答えています。娘は生きてくれていればそれで十分で、他は何も求めないと言っています。ほんとうにそう思っているんですから。
学級通信のタイトルが「めばえ」「わかば」だった理由
【養老】農業、漁業、林業といった一次産業の人口が少なくなってきたでしょ。それが子育てに影響しているんじゃないかな。
【内田】関係あると思います。子どもを、農産物みたいなものとして考えるか、工業製品として考えるかで全く違いますからね。人間がものを作る時って、自分が普段まわりで見ているものを基準にするしかない。ですから、その時点での基幹産業のメタファーを使って子育てをすることになる。
さいわい僕たちの時代までは農業のメタファーが使われた。でも、だから、その頃は学級通信のタイトルは「めばえ」だったり「わかば」だったり、「ふたば」だったり、必ず植物的な比喩が使われたけれども、誰もそれが変だとは思わなかった。先生も子どもたちに向かって「君たちはまだ若木なんだから」という言い方をした。僕は学校でも家庭でも、工業製品として扱われた経験はないんです。
【養老】経団連の会長が、「農業を工業化する」って言ったことがあるんですよ。この野郎、何も生き物がわかってねえなと思ったことがあったんだけど、そういう頭で教育もやっているんです。




