「絶妙な狭さ」が、八雲に“家族”を教えたか
この家は2018年に松江市が所有し整備するまで長らく、持ち主の根岸家が管理していた。聚海書林『わが心わが山陰:小泉八雲の見た神々の里』(聚海書林1982年)には、1982年当時の話として、一部の部屋は公開されているが、当代の根岸家当主が暮らしていることが記されている。
それゆえに、八雲とセツはあえて二人(と、女中+猫)だけの空間を選んだと考えるのが、もっとも自然だろう。
なにしろ、八雲は不幸な結果に終わった最初の結婚を除いて家族というものを知らない。それに、最初の結婚も妻との二人の生活であった。ゆえに、急に妻の家族が増えるという嬉しさはあっても、どう対応してよいのかわからなかっただろう。
(参考:だから「普通の英語教師」になれなかった…ばけばけ・小泉八雲が「最底辺の移民」から「文学の巨人」になれたワケ)
それができるようになるためには、時間が必要だった。
この小さな武家屋敷での暮らしは、八雲にとって「家族のリハビリテーション」だったのかもしれない。襖一枚隔てた距離で、妻の気配を感じる。朝起きれば茶を淹れる音が聞こえ、庭に出れば女中が声をかけてくる。猫が膝に乗り、セツが微笑む。
この「絶妙な狭さ」が、八雲に家族というものを少しずつ教えていった。
初めて体験する「家族の温もり」
もし広い屋敷で、それぞれが離れた部屋で暮らしていたらどうだろう。顔を合わせるのは食事の時だけ、あとは各自が自分の世界にこもる。それでは、孤独に慣れきった八雲は、また殻に閉じこもってしまったかもしれない。
襖の向こうから聞こえる生活音。誰かがいる気配。呼べば返事が返ってくる距離感。プライバシーゼロの、この息苦しいほどの近さが、かえって八雲の心を開いたのではないか。
書斎で原稿に向かっていても、襖一枚隔てた向こうにはいつでも愛する妻がいる。茶を淹れる音、猫をあやす声、女中と交わす何気ない会話……それらすべてが、八雲にとっては初めて体験する「家族の温もり」だった。
そして何より屋敷の立地は最適だった。
松江というのは実に不思議な街で、現在でも通り一つを挟んで雰囲気がガラリと変わる。だから、最初に暮らした末次本町と新たに居を構えた塩見縄手は、松江城を挟んでわずかに2キロもないのにまったく別の街である。
繁華街の裏手、川に面した末次本町は、眺望こそ良かったが人の往来も多い。対して塩見縄手は、松の並木が続き、白壁・格子、黒板塀の武家屋敷が静かに建ち並ぶ一角だ。喧噪を嫌う八雲にとって、これ以上ない環境だった。

