新居は“狭すぎた”
実は八雲は先立って、西田の仲介でセツの実母チエ(北川景子が演じるタエのモデルとされる)の経済援助を申し出ており、チエは別に家を借りて暮らしていた。
一方、セツの養家である稲垣家については、この時期の西田の日記にも言及がない。ただし後に八雲が熊本へ移る際には稲垣家の面々も同行しているので、なんらかの援助はしていたはずだ。
月給100円の高給取りとはいえ、八雲の給料だけで三世帯を支えるのは、いささか浪費をしているようにも見える。ドラマを見たら「武家屋敷を借りたのだから、全員同居すればいいのでは?」と考える人もいるだろう。
答えは簡単だ。新居が、狭すぎたのである。
この新居の思い出をセツは次のように記している。
しかし、庭こそ気に入ったものの、家そのものは正直に言えば、狭かった。
襖一枚で仕切られただけの日本家屋
それまで、武家屋敷から零落して狭い長屋に家族が身を寄せ合っていたのだから、それに比べると天国かもしれないが、女中を含めて3人で暮らすには決して広くない。
それは、間取り図を見れば一目瞭然だ。
六畳半が2部屋、六畳、九畳、五畳、四畳、三畳……一見、部屋数は多い。だが、これは日本家屋である。襖一枚で仕切られているだけで、プライバシーなどあったものではない。しかも廊下がないから、ある部屋から別の部屋へ行くには、必ず誰かの部屋を通り抜けなければならない。
夫婦の寝室、八雲の書斎、女中の部屋、それだけで手いっぱいだ。
もっとも、現代のように個室とプライバシーの意識が確立していたわけではない。明治の日本家屋では、家族が襖一枚隔てて暮らすのは当たり前だった。狭くても構わないというなら、実母や養父母も一緒に暮らすことは不可能ではなかっただろう。
なお、「狭い」「狭い」と書いてきたが、実はこの家、普通の家族なら十分に暮らせる広さだった。

