「信長、秀吉が剛腕を奮って統一した天下をかすめ取った」と揶揄されることもある徳川家康。だが有識故実家の髙山宗東さんは「ただ、漫然と長生きをして得をしたと思われては、家康が可哀想だ。家康は涙ぐましい努力を重ね、長生きという珠玉のスキルを獲得したのだから」という――。
享年75歳、直前まで元気だった
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」
この作者不明の狂歌から察するに、徳川家康という人は、「長生きをして、めぐり合わせが良くて、得をした人」というイメージが、すでに江戸時代からあったらしい。
織田信長が天下布武を謳って剛腕をふるい、今川、武田などの強敵を倒し、比叡山や一向宗などの難敵と戦って地ならしをし、その跡を受けた秀吉が関東や九州を平定してようやく統一した天下を、長生きをした家康がするりとかすめ取った……と。
当の徳川幕府自身、そう思っていたらしい。
この狂歌は作者不明でとらえどころも無いが、この歌をモティーフに「道外武者 御代の若餅」(嘉永2・1849年)という浮世絵を描いた歌川芳虎は、版元と共に手鎖50日という実刑を受け、版木も焼き捨てられてしまった。「当幕府の開祖を茶化した罪」が問われたのである。人は、痛いところを突かれると、過剰に反応するものだ。
織田信長、享年49歳。
豊臣秀吉、享年62歳。
徳川家康、享年75歳……
当時の平均年齢からすると家康は、非常に長生きであったのみならず、亡くなる寸前まで元気だった。それも「あいつは長生きで得をしたなあ」と思わしむる一助になっているのだろう。秀吉も当時にしては長生きの方ではあるが、晩年は歯も抜け落ち、睡眠障害や被害妄想などに悩まされ、失禁を繰りかえすなどだいぶ耄碌していたらしい。甥で後継者だった秀次一家を皆殺しにし、誇大妄想を抱いて朝鮮に出兵したことなどからも、老蒙の様子が窺える。
しかし、ただ、漫然と長生きをして得をしたと思われては、家康が可哀想だ。
家康は、涙ぐましいまでの努力を重ね、長生きという珠玉のスキルを獲得したのだから……。

