リクルートの原点とは、自分たちよりも優秀な人材の採用に魂をかけることにある。人間の可能性にかけ、そのためによい待遇を用意する。今年、創業者の江副浩正氏が亡くなった。故人を偲ぶ会で紹介されたエピソードや配られた冊子をみて、そうした原点を確認させられた。私はリクルートはブラック企業ではないと思う。
労働環境の「きつさ」は、人によって感じ方も違う。それだけではなく、法令遵守の姿勢があるかどうか、本人の成長を考えているか、労働に見合う対価があるか、次につながるか、自分たちよりも優秀な人材を採用し、活躍してもらおうとしているか――。これらが判断の大きなポイントだ。
OBの企業も含め、リクルートの方法論を中途半端に真似した企業をよく見聞きする。こうした企業は本人に「夢」を語らせる一方で、待遇は悪く、本人の成長は自己責任に押しつけられている。私は「やりがい搾取型」の企業と呼んでいる。
なぜこうした「リクルートごっこ」が横行するのだろうか。それは我が国の経営者たち、特にベンチャー経営者たちに戦略がなく、マネジメントが幼稚だからだ。ブラック企業について今野晴貴氏は著書で「人を食いつぶす企業」としていた。戦略がないからこそ、「人を食いつぶす」ことで、事業を成り立たせようと画策している。
一般的なイメージと異なり、ブラック企業のなかには職場の雰囲気が明るい企業もある。これは「働くことは楽しいことだ」と刷り込むことで、狂信的な宗教組織のように過重労働を競い合わせるからだ。一方で、軍隊のように徹底的な上意下達で縛る企業もある。
「働くことは義務だ」と教え込み、理不尽な目標達成を迫る。雰囲気は重苦しいが、厳しく叱咤されるため、転職や退職を言い出すこともできない。
宗教か、軍隊かというメタファーは根深い問題である。組織の歴史においては企業よりも宗教、軍隊の方が古く、そこに行き着いてしまうからだ。