「普通に親と寄り添えば普通の人生が送れるかも」
私は母子家庭で育ちました。父と離婚した母は、飲食チェーンで接客のアルバイトをしながら私を育ててくれました。家計は苦しかったと思います。周りの子が持っているような服や可愛い筆記用具が買えなかったのもつらかったけれど、それ以上に家がゴミ屋敷だったことがきついと感じていました。床はベトベトしているし、トイレは汚いし、ゴキブリはたくさんいるしで、思春期の頃にはそれが嫌で家に帰りたくなかったんです。
一度大きな喧嘩を母としたことがあって「そんな不潔なのに、よく飲食店で働けるね! あんたの触った料理なんて食べたくない!」と言ったことがあります。怒った母は「これのどこが汚いんだ!」って叫んでいました。私があんなに懸命に訴えたのは、臭いとか汚いとか言われて、学校でいじめられていたからです。いじめられていることを、母に言ったことはないです。
私はいまで言うところの「トー横キッズ」でした。中学生のころ、深夜の繁華街を徘徊しているところに男の人から声をかけられて、最初は年齢を偽ってホステスとして働いて、18歳になったら風俗で働いて。それからずっと、結婚はせず、そういう世界で働き続けてきました。
そこには私みたいな境遇の子たちも多かったけど、そうじゃない子たちもいて、その子たちは年末年始にはとりあえず親のところに帰ってぐーたらするとか話していたのが衝撃的でした。
あのとき私は「そうか、それが普通なんだ」と思いました。普通のことをして、世間の普通に添えば、普通の人みたいな人生が送れるかもしれないと思ったんです。
ゴミ屋敷を掃除をして、料理を作っている瞬間が嬉しかった
それからというもの、都合のつくときはなるべく帰省するようにしてきたと話します。帰省して、朝から晩まで実家の掃除と片付けをし、炊事が苦手な母のために料理を作っているときが「まるで普通の親子のようで」嬉しいのだと付け加えました。
しかし、せっかく大変な思いをして片付けても、すぐに元通りのゴミ屋敷になってしまうとも言います。それなのに都合がつけば木崎さんは帰省して、同じように掃除を繰り返しているのです。そうこうしている間に、だんだんと帰省すること自体が苦痛になってきたと話します。

