それでも八雲が“キレなかった”理由

ついには、なんでもいいから記事にしておこうという気持ちになったのだろうか。「山陰新聞」1891年3月27日付では、八雲が散歩中に稲荷社に奉納された石に狐が刻まれているのを珍しいといい、すぐに写真家を呼んで撮影させたことを報じている。

これ、何のニュースなのか。

散歩して、石見て、「珍しい」と言って、写真撮った。たったこれだけで記事一本である。もはやネタ切れを通り越して、日記レベルに達している。

普通ならここで「もう勘弁してくれ」とキレてもおかしくない。人付き合いに消極的な八雲ならなおさらだ。

ところが、八雲はキレない。理由は簡単。自分も元新聞記者だからである。しかも上品な文芸欄担当ではない。殺人現場で被害者の死体を事細かに描写し、スラムに潜り込んでルポを書く。そういうタイプの記者だった。いわゆる「イエロー・ジャーナリズム」の申し子である。だから、わかってしまうのだ。記者たちの「とにかくネタが欲しい」という切実な気持ちが。そして断れない。

元記者として、後輩たちの苦労を見捨てることはできない。むしろ協力的だったというから、八雲も相当な人物である。

ラフカディオ・ハーン(1889年)
ラフカディオ・ハーン(1889年)(写真=Frederick Gutekunst/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

セツの“相当な覚悟と深い愛情”が垣間見える

さて、そんな「松江のビッグスター」と結婚することになったのが、セツである。前回の記事(小泉八雲の「妻」とは呼ばなかった…130年前の新聞が書き立てた「ばけばけ」モデル・セツの“理不尽な肩書”)で書いたように、セツは妾になる覚悟もあった。それだけでも並大抵の決意ではない。

いわば松江では知らない人のいない大スターとの結婚である。それに、セツは新聞を読んで八雲が散歩すれば記事になり、石を見ただけで報道される「常に注目される存在」だということを、よく知っていたはずだ。

そんな人物と結婚すれば、自分もまた世間の視線にさらされる。プライバシーなど、あってないようなものだ。なにしろ毎月の給料まで報じられているのだから、ちょっと大根を買っただけでも世間のやっかみがないはずはない。

それでも結婚を決めた。

これは単なる恋愛感情だけでは説明できない。相当な覚悟と、そして何より、深い愛情がなければできない選択である。セツという女性の芯の強さが、ここに表れている。

当然、結婚後はセツも新聞のネタにされている。「山陰新聞」1891年6月28日付の記事では、こんな風に詳細に記されている。

ヘルン氏の妾は南田町稲垣某の養女にて、其実家は小泉某なるが、小泉方は追々打つぶれて母親は乞食とまでに至りしが、この愛妾というは至って孝心にて養父方へは勿論、実母へも己の欲をそいで与える等の心体を賞して、ヘルン氏より15円の金を与え、殿町に家を借り受け道具等をも与え、爾来は米をも与えることとなせりという。