「主観」と「ネタ」が入り混じる表現

これ、当時の読者も「いや、知らんがな」と思ったのではなかろうか。記者の服装なんて誰も興味ないし、そもそも取材対象が「日本の衣服を着ている」というのに、わざわざ、家に帰って洋服に着替えたとか、やってることがいちいちおかしい。

そして、出迎えた八雲は当然浴衣姿。しかも記者が洋服なので座布団には座りにくいだろうと、椅子をすすめて自分は浴衣のまま座布団に坐って話をしはじめた。ここで、記者はこう記している。

然らば態々洋服を着換えざりしものと後悔したり

これ、絶対わざとやっている。記者がマヌケなことを繰り返して読者を笑わせようとしているとしか思えない。主観込み、ネタ込みで書くこのスタイル。「松江日報」は想像以上にエンタメに振り切った新聞だったのかもしれない。

ここから先、松江滞在中を通して八雲はすべてが新聞の話題となる人物だった。とりわけ、八雲が日本の事物に深く関心を持っていることは興味をひいた。9月に出雲大社に参拝した際には、さっそくこれが記事として報道されている。

新聞記者が“常にくっついていた”

さらに10月、松江市内の龍昌寺を訪れた八雲は、そこにあった石地蔵に魅了されさっそく作者である荒川亀斎の自宅を訪問している。「山陰新聞」1890年10月5日付の記事では、最初に名前を知らないまま訪問したら留守だったが、翌日荒川の名前を聞いて、改めて訪問。長らく荒川の作品を絶賛したことが記されている。

この記事からは記者たちが常に周囲の人から八雲の動向を聞いて、時には後ろをくっついていって取材していた様子が窺える。

ここから先、八雲は松江滞在中を通して、すべてが新聞の話題となる人物だった。とりわけ、八雲が日本の事物に深く関心を持っていることは格好のネタだった。

9月に出雲大社に参拝すれば、即記事。10月、松江市内の龍昌寺を訪れて石地蔵に魅了され、作者である荒川亀斎の自宅を訪問すれば、これまた記事である。

「山陰新聞」1890年10月5日付の記事を見てみよう。八雲は最初、名前も知らずに荒川宅を訪ねたが留守だった。翌日、名前を聞いて改めて訪問し、長らく荒川の作品を絶賛したと報じている。

この記事も、よく考えるとなかなかにオカシイ。記者はなぜそこまで詳しく知っているのか。これ、記者が常に周囲の人から八雲の動向を聞き出し、時には後ろをついて回っていたとしか思えない。いかに八雲が大スターであったかを彷彿とさせる記事だ。