愛子さまがご一緒だったことの意味

上皇上皇后両陛下は戦後50年にあたる平成7年(1995年)の前年に、まず激戦の地だった硫黄島にお出ましになった(平成6年[1994年]2月12日〜14日)。それを踏まえて翌年、上皇陛下ご自身がかねて唱えておられる日本人が忘れてはならない「4つの日」、すなわち沖縄戦で組織的な戦闘が終結した6月23日、広島に原爆が投下された8月6日、長崎に原爆が投下された同9日、終戦の玉音放送がなされた同15日……に沿って、長崎県・広島県(平成7年[1995年]7月26日〜27日)、沖縄県(8月2日)、東京都慰霊堂(8月3日)を、それぞれ訪れられた。

これらは、苛烈な戦争を「天皇」として実際に体験された昭和天皇が、生涯をかけて深い反省とともに抱き続けておられた「平和への願い」を、揺るぎなく受け継がれたものだった。

それをさらに、令和の現代に受け継ぐお姿が、このたびの天皇皇后両陛下の慰霊の旅に他ならない。

と同時に、見逃せないことがある。それは、戦争への反省と平和への祈りを「次の時代」に向けて、受け渡そうとする営みでもあったことだ。

というのは、5回のお出ましのうち、硫黄島と広島県を除く3回は、敬宮殿下もご一緒だったからだ。この事実が持つ意味は重い。

「世襲」の核心は精神の受け継ぎ

まず、普通に考えて天皇皇后両陛下のお気持ちを他の誰よりもまっすぐに受け継げるお立場にあるのが、令和で唯一の皇女、敬宮殿下でいらっしゃるという客観的な事実がある。しかも、実際にご本人に陛下のお気持ちを受け継ぐご覚悟がなければ、今回のように慰霊の旅の多くの部分をご一家でご一緒されることはなかったはずだ。

憲法は皇位を「世襲」と規定している(第2条)。世襲とは、この場合、天皇の血統(皇統)によって受け継がれることを指す。

しかし、現代社会において「血統が持つカリスマ性」だけによって人びとが心服することは、期待しにくい。敗戦後それほど経っていない頃でも、すでに次のような指摘がなされていた。

「血統の正統性は君主制が普遍的・正常的な国家形態であるとされていた時代においてのみ決定的な要素とみられたにすぎず、それが国家にとって本質的なものではないという意識が強くなってきた」(佐藤功氏『君主制の研究 比較憲法的考察』昭和32年[1957年])

ならば、もはや世襲に意味はないのか。おそらく、そうではないだろう。

今の天皇皇后両陛下が幅広く国民から敬愛の気持ちを集めておられるならば、その両陛下のお気持ちを最も素直に受け継いでおられる方に、「天皇」の地位を継承していただくことは、ごく自然なことであり、多くの国民の願いでもあるだろう。その場合、世襲とは単なる血統だけの受け継ぎではなく、むしろ「精神」の継承こそが本義ということになる。