「3代目もご一緒された」

慰霊の旅の重大さを考えると、天皇皇后両陛下はご自身が大切にされている「精神」を敬宮殿下が受け継がれることを期待して、多くの日程をご一緒されたとしか考えにくい。また敬宮殿下ご本人も、自覚的に皇室が伝えてきた精神を継承しようと心を尽くされているように、拝察できる。

そのことをよく示しているのは、今回、各地で天皇ご一家のお出ましを迎えた地元の人たちの受け止め方だろう。

たとえば、ご一家が沖縄の対馬丸記念館を訪れられた時、対馬丸事件の生存者で同館の元館長だった高良政勝さんが、感慨深げに以下のように語っていた。

「この小さい記念館によくも(平成時代に上皇陛下、令和になって天皇陛下と)2代がおいで下さったな、と。そしてまた3代目もご一緒された。本当に愛子さまがおいでになられたのは非常に大きなことだと思います」

ここで自然に敬宮殿下に対して、「3代目も」という言葉が出てきている。

愛子さまが受け継ごうとしているもの

広島にお出ましになった時は、被爆者で原爆資料館の元館長だった原田浩さんが敬宮殿下の作文「世界の平和を願って」について、次のように感想を述べていた。この作文は、学習院女子中等部の修学旅行で初めて広島を訪問された時のご感想を書かれたもので、文中に「空が青いのは当たり前ではない」という印象的な一節がある。

「私が言うべきことが、きちっと作文の中に入っていたんですね。ああ、3代にわたって、こういう思いを継承していらっしゃったのかな、という思いでした」

ここでも普通に「3代にわたって」という表現が使われていた。

これらの人たちの受け止め方は、敬宮殿下が天皇陛下から皇室にとって大切な精神を受け継ごうとされている真実を、深く洞察されているのではないだろうか。

現に、先の「4つの日」に毎年、黙禱を捧げ続けておられる事実が明らかなのは、上皇上皇后両陛下を除けば天皇ご一家だけであり(ただし終戦記念日は、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式で黙禱され、敬宮殿下は同じ時刻に御所で黙禱される)、次の世代では敬宮殿下お一方に限られる。