「炊き出し」に集まるのは一体どんな人たちなのか。自身も路上生活を体験したルポライターの國友公司さんは「ホームレスや生活困窮者だけではない。そういった人をターゲットに勧誘活動を行う新興宗教の信者も来ている」という――。

※本稿は、國友公司『ルポ路上メシ』(双葉社)の一部を再編集したものです。

上野公園にあるこの広場では週に4回の炊き出しが行われている
筆者撮影
上野公園にあるこの広場では週に4回の炊き出しが行われている

韓国系キリスト教会の日は腰が重くなる

2025年3月下旬のある土曜日は、そろそろ4月になろうかというのに真冬なみの寒さだった。しかもザーザーと雨が降っているので、より冷気が肌に突き刺さる。

朝起きたとき、炊き出しに行くかかなり悩んだ。ほかの生活困窮者たちもきっと同じだったはずだ。というのも、この日の炊き出しも説教の長い韓国系キリスト教会によるものだからだ。

11時に広場へ着き、ボランティアのスタッフから整理券を受け取る。私がもらった紙切れには「120」番と書いてある。さらに、30人ほどが列に加わった後に受付は締め切られた。

以降、やってきた人にはスタッフが顔の目の前で「バッテン」をつくり、「ダメー!」と言って、追い返していた。みんな不服そうな表情を浮かべて帰っていったが、そりゃそうだろう。わざわざそんなアピールなんかせずに、「締め切ってしまいました」と、一言伝えればいいことだ。

賛美歌を歌うときに「じ~ん」とくる

整理券の順番に並び、傘を差しながら待っていると、10分ほどして牧師が広場に到着した。

「今日は雨が降っているので勉強会はなしにして、ご飯を配りますよ〜」それから5分もすると、この日の食事が自分の手元に回ってきた。

ただ、「説教がなくてラッキー」となるはずなのに、どこかで味気なさを感じている自分がいた。1時間も2時間も説教を聞くのは辛いけれど、そうしてもらった食料は不思議とありがたみが増す。

無宗教かつ取材者という立場である私でも、これだけ頻繁に牧師の説教を聞いていると、時折「じ〜ん」と来ることがある。とくにみんなで賛美歌を歌うときなどは、つい感情移入をしてしまう。