松江の士族240人が「乞食」

以下、主として長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の記述にもとに話を展開したい(小泉セツはトキのモデル)。松江藩は幕末の時点で徳川家の親戚である松平家が支配する親藩だった。最終的に新政府に恭順したが、当初の姿勢が曖昧だったため、新政府との関係性はよくなく、そのことで松江の士族の零落に輪がかかった。

明治18年(1885)2月9日の山陰新聞では、松江在住の士族約2300戸の7割が「自活の目途なきもの」で、全体の3割が「目下飢餓に迫るもの」としているという。また、翌明治19年(1886)5月18日に同紙に載った「士族生活概表」によると、58戸240人が「乞食するもの」だったという。