“武士家系へのこだわり”が結婚失敗の原因に
明治34年になって、これを除籍したのは八雲とセツの間に生まれた男子を跡継ぎにすることを決めたからだ。明治34年8月には、八雲の次男・巌がセツの養母であるトミの息子として養子縁組がなされている。こんなややこしいことになっているのは、当時の家制度が原因だが、明治になっても武士の家系へのこだわりは拭えぬものだったともとれる。
実際、小泉家・稲垣家ともに、かなり時代錯誤な思考を続けていたようだ。『父小泉八雲』には、こう記してある。
小泉の祖母松寿院(チエ刀自)は何時になっても昔の気位を棄てぬ人で、西田先生に対しても「おうおうこれは千太か、久しぶりじゃったのう。えらい立派にならっしゃって、平兵衛(西田氏の尊父)もさぞかし満足じゃろう。ちと当方えも話におじゃい」等、如何にも横柄な態度に四辺の人々は冷や汗をかいた等の話も聞いた。
西田先生とは、八雲を松江に招いた西田千太郎のこと(編集部注:吉沢亮演じる錦織のモデルとされている)。当然、維新後に教育者として出世した人物なのだが、そんな人物に対しても昔の関係性(西田家は武士としては下級)のままに振る舞おうとしていたというわけである。
稲垣家でも、そんな思考が常識で婿養子に入った為二には貧乏以上に我慢できないことがあったのだろう。
結局、セツの最初の結婚を失敗に追いやったのは、時代錯誤の魔窟のような自分の一族だったのだ。
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