京急と一度だけつながっていた

戦後になりGHQは羽田空港を輸送路とするために、前述の国鉄と京急とを繋ぐ連絡線を建設。穴守線も稲荷橋~穴守間が休止となった上、線路の一部を接収され単線営業となった。

サンフランシスコ平和条約が締結された1952年以降、GHQによる接収は解除されたものの、一部は空港敷地になってしまったため、稲荷橋駅は位置を移動し、穴守稲荷駅として開業。終点として空港をのぞむ敷地外に羽田空港駅(現在の天空橋駅付近)が建設されることとなった。

この際に、輸送路として利用されていた蒲田駅~京急蒲田駅を繋ぐ線路も廃止・撤去されている。GHQは、接収した穴守線の軌間を狭軌に変更して利用していた。だから、現在の視点では、これを旅客化していれば……と考えるのだが、なぜそうならなかったかは資料がなくわからない。