当たり前の話の向こうに

もちろん、空犬さんも、ぼくも、町の本屋さんが大変だということは、いろんなところで聞いて、知っていた。でも、そんなことを、したり顔で話したり、数字に落し込んで、これは危機だ、と論じることは、お互い恥じていた。本屋さんと言わず、すべての小売店が大変なのは当たり前の話なのである。その当たり前の話の向こうに、言い換えれば、毎日の葛藤と努力の向こうに、町の本屋さんの面白さ、素晴らしさがある。

それに、経験から、ぼくは知っている。音楽がつまらなくなったと言う人たちは、音楽をもう聴いていない人たちなのである。その意味で、本が読まれなくなったという人たちは、もう本を読んでいない人たちであり、本屋さんが面白くなくなった、本屋さんが危機だ、と話す人は、もう本屋さんに行かなくなった人たちなのである。

もう一度、町の本屋さんのなかを目を凝らして見れば、ふだん見ていない棚の、ふだん手にとらない本を手にとって見れば、本屋さんの面白さ、素晴らしさは、必ず伝わる。そう思っていた。

でも、やり方がまったくわからなかった。そういう町の本屋さんの魅力を伝える本をつくりたかったのだが、どうつくればいいのか、わからなかった。つくってみたところで、おもしろいものになるとは信じられなかった。

そんなとき、酒の席で、「本屋図鑑」という言葉がふとあらわれた。それいいねと、空犬さんともうひとりの編集者と3人でおおいに盛り上がった。

名前だけがひとり歩きした。

2012年の4月のことである。

「図鑑」というコンセプトの強みは、すべてがフラットであるということである。どんなに大きな本屋さんも、小さな本屋さんも、品ぞろえが個性的な本屋さんも、そうでない本屋さんも、「図鑑」という形式に落し込めば、価値は等価となる。

そもそも、町の本屋さんとは、ごくわずかな例をのぞけば、越境的に、グローバルに価値をもつ場所ではない。そのまわりに住む人たちにとって、かけがえのない場所なのである。そこに住む人たちの思いをなによりも大切にしたかった。その思いを47都道府県、すべての場所で見て、聞いてきたかった。

写真でなく、絵にしようと決めたのは、かなり最初の段階である。

理由はかなりはっきりしている。つまり、写真という方法を選べば、写真映えすることが、取材する店の取捨選択の大きな基準になってしまうのである。品ぞろえは素晴らしいけれど写真映えしない。そんな本屋さんを取り上げることが難しくなる。それでも、美しく見せたければ、かなり限定的に棚を紹介するか、写真自体にテクニックを凝らす必要があった。そんなことは、絶対にしたくなかった。

ぼくは、そのころ、イラストレーターの得地直美さんの絵を知っていた。

最初から、得地さんにお願いしようと思っていた。

『本屋図鑑』の企画会議を、吉祥寺駅前のルノアールで、空犬さんと数えきれないくらいやった。迷うことはほとんどなかった。考えていることの90%以上が同じであった。

つまり、空犬さんとぼくは、町の本屋さんが大好きなのであった。

大人になっても、ずっと、町の本屋さんを必要としていたのであった。

●次回予告
その本屋のことは、『本屋図鑑』にこう書かれている。《――1995年以来続く「阪神・淡路大震災を語り継ぐ棚」は、見る者の足を止める。東日本大震災が起こった2011年、この書店が、「激励のことばより本を売る!」というフレーズとともに、仙台で被災した出版社「荒蝦夷」のフェアをいち早く開催したことは、この書店の性格をなによりも雄弁に語る。》――神戸・元町、海文堂書店。先日、9月末での閉店が報じられた。島田さんは神戸に向かう。次回《神戸「海文堂書店」のこと》。8月18日(日)公開予定。

【関連記事】
『本屋さんで本当にあった心温まる物語』川上徹也
『和本のすすめ』
アフリカの本屋さん
文壇の重鎮 丸谷才一が語る「不朽の名作」(1)
『本屋図鑑』ができるまで