無縁社会や無縁死という言葉は、こうした寂しげなイメージの先にくるものである。老齢者単独世帯の増加や自殺者の増加といった統計による証明を待つまでもなく、私たちが無縁社会に生きていることは事実であろう。

前述のNHKの番組は、高齢者だけではなく30代にも衝撃を与えたとされている。就職難や派遣切りといった厳しい現実に直面し、かつてのような“企業一家”の縁も感じることのできない世代である。彼らを含め、社会全体に「縁」を求める動きが出ているという。

だが、単純に「有縁社会」へ回帰すればいいのだろうか。それ以前に、私たちは本当に無縁社会を忌み嫌っているのかということも検証しなければならない。

まずいえることは、伝統的な有縁社会=村社会も理想郷ではないということだ。村社会の基本原理は、家どうしが冠婚葬祭などで互いに助け合う互酬性だ。互酬性が確立されれば、その場で決済することがないため人間関係は長期に及ぶ。一方、その関係性から逃れることができないという意味では、個人を拘束する。際限のない互酬性の罠から逃れるには、いったん村の外へ出なければならない。

そのため、高度成長期には多くの若者が自由=無縁化を求めて、東京など大都会の職場や学校を目指したのだ。

だが、自由である半面、帰属先のない不安定な都会生活には、必ずしも幸福な暮らしが待ち受けているわけではなかった。当時流行した演歌やフォークソングには、そうした都会生活における挫折や望郷の念を歌ったものが多かった。

私自身がNHKの『無縁社会』を観て連想したのは、そうした演歌やフォークソングの世界であった。いまの流行歌では、ついぞ聴かれなくなった種類の歌である。なぜ流行しなくなったのかというと、無縁化を求めて都会へやってきた人々の多くがそのまま都会に定着し、都会への不適応や郷愁の気持ちを、かつてのようには感じなくなっているからだ。しかし、彼らの心の底には、いまもなお「都会で失敗した者を慰める歌」を求める気持ちが残っている。『無縁社会』が受け入れられたのは、そうした心情をうまく掬い上げたからではないだろうか。