自己啓発書の「ライトな読者」を考えたい
この連載を含めて、私はずっと自己啓発書という「資料」から社会の何がみえるかということを研究してきました。そのため、拙著『自己啓発の時代』の書評会でも必ずいわれることなのですが、自己啓発書の制作事情はどのようなものなのか、逆に自己啓発書はどのような人によってどのように読まれているのか、といった論点にはまだ十分に分析することができていません。
これらの論点については、以前紹介した漆原直行さんの『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』が一部触れています。また、より熱心な読者が参加すると考えられるセミナーについても、宗教社会学者の小池靖さんによる『セラピー文化の社会学』、最近のものでは人材コンサルタント・齊藤正明さんの『「自己啓発」は私を啓発しない』などがそれぞれ自己啓発セミナーのフィールドワークを行っています(宗教社会学の領域では1980年代以降、自己啓発セミナーのフィールドワークの知見が積み重ねられています)。
ただ、これらの業績を否定するわけでは決してないのですが、これらは私が考えたいこととは少しずれています。特に、自己啓発書はどのような人にどのように読まれているのか、といった論点においてずれています。
私が考えたいのは、紹介した著作が扱うような、自己啓発書にのめりこみ、セミナーにまで参加してしまうような読者ではないのです。そうではなく、たとえば阿川佐和子さんの『聞く力』が100万部、水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ』や岩崎夏海さんのいわゆる『もしドラ』が100万部、200万部と売れていくような、広く人口に膾炙する自己啓発の営み、いわば「大衆文化としての自己啓発」について考えてみたいのです。
極端な考えをとる人の自己啓発ではなく、ちょっと仕事を頑張りたい、ちょっと悩みを解決したい、あるいはちょっとタイトルにひかれて自己啓発書をとる、そういった「今そこにある自己啓発」のようなものについて考えてみたいのです。連載の後、私が取り組んでみたいことの一つはそのようなライトな自己啓発書読者へのインタビューです。
また、やはり連載の後に取り組みたいと考えているのは、「より確かな知見」を提出するということです。この連載では、1か月1テーマというペースで進めてきたため、各テーマについて徹底的な調査を行ったわけではありません。もちろん、できる限りの調査は行って原稿を書いてきたつもりですが、それも時間的制約のなかでの最大限の努力から提出された「仮説」という表現が本連載の性格づけとしては適切なのだと考えています。この原稿を書き終えたのち、いくつかのテーマについて、納得がいくまで調べ、資料を読み、「仮説」を「より確かな知見」としたうえで、本のかたちにして改めて世に問いたいと考えています。もしご興味があれば、書店などで見かけた際、お手に取っていただければ幸いです。
では、月並みですが、1年間お付き合いいただきありがとうございました。
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