勇と一緒に、銭湯で背中を流し合いっこした思い出の写真(写真下)。勇からもらった手紙。あらためてこんな手紙をもらうとちょっと“ウルッ”とくるね。

お父さんの“器の大きい伝説”はほかにもある(笑)。いつも家族全員でご飯を食べるのが習慣なんだけど、食事中に近所の人が訪ねて来たら、家族のご飯を回収して(笑)、その人のために食事を作り直していたんだ。家族はもちろん、相手が他人であっても、モノも気持ちも分かち合うこと、時に対立したとしても許すこと、そして大地の恵みに感謝することを両親から学んだ。でも、日本はどうだろう? ギニアと比べものにならないほど物質は豊かなのに、心がバラバラで、人や自然の恵みに感謝する気持ちを忘れていない? 日本の家族は、言うべきことを言い合っていないと思う。子供に遠慮して、厳しいことをなかなか言えない親も多いんじゃない? 教育は学校にばかり頼ってはいけないよ。家での教育は、とてもとても大事だよ。

そして僕のお父さんが応援してくれたように、子供たちには、フランスでもカナダでも日本でも、世界中どこにでも行って活躍してほしいというのが僕の願い。世界の大きさを実感して、視野を広めてほしいんだ。

そういう意味では、勇は世界に目を向けているね。アメリカの大学に留学した後、「DJヨンコン」(笑)という名前で、レゲエのDJをやってるよ。本当のことを言うと、彼には医者になってほしかった。僕は高校生のころに負ったけがが原因で、足が不自由なんだけど、当時のギニアの医療では治せなかった事情があるから。でも、最終的には、勇のやりたいことをやらせればいいということになった。彼は、自分のルーツにつながる音楽に大きな関心があったみたいです。DNAの欲求には、何も言えないな……。

勇をはじめ、みんな素直でいい子。言葉も丁寧で、謙虚で。親バカかな(笑)。日本人は身内をワザと悪く言うけど、いいじゃない、親なんだから! 褒めるべきところは、率直に褒めればいいんだよ。でも、叱るべきときは、厳しく叱る! 愛情があるなら遠慮することないよ。

オスマン・サンコン
1949年、ギニア共和国出身。72年、日本に開設されたギニア大使館の大使館員として来日、84年よりタレント活動開始。現在は講演のほか、ギニアで「サンコン小学校」の開校、沖縄の桜をギニアに植える運動など、両国の縁をつなぐ活動を精力的に行っている。
(東野りか=構成 アラタケンジ=撮影)
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