そんななか、決定的な事件が起きる。燃料電池の入口分野で、自動車メーカーが「堀場にやらせてくれ」と言ってくれた開発話を、商社が自社の系列会社へ回してしまい、堀場には届かなかった。海外経由で情報が入り、それが判明する。調べてみると、似たようなことは以前にもあって、好機をいくつも失っていた。怒り心頭に発し、「これは、根本的に直す必要がある」と腹を固めた。
90年前後から、営業部隊の育成に着手する。社内には「自前に切り替えると利益が減る」と反対する声もあったが、押し通す。まずトヨタグループに近接する名古屋に拠点を設け、次に大阪、そして東京にも置いた。総代理店と活動が重複し、コストは2倍かかる。商社との契約を早く切ればそれは防げたが、そうもいかない。営業本部は商社任せに慣れきっていて、自力で同じだけの仕事などは無理。40代は、大きな商機を失わないようにするために、我慢を貫く10年となる。
我慢と言えば、中学時代の水泳の試合を思い出す。当時は模型飛行機づくりに夢中で、試合前夜も遅くまで続けてしまう。当然、睡眠不足で記録が伸びない。チームに迷惑をかけるのでもう許されない、と自省する。以来、試合や大会の前夜は、模型づくりを我慢した。必要になれば我慢する力が、身についていく。
社長になって、2000年に40年余り続いた商社との総代理店契約を解消した。翌年4月から、国内も直接営業になる。当初は赤字になることを覚悟した。まだ自力ではできないこともあるだろうし、バブル崩壊後の景気停滞も続いていた。ところが、1年目から利益が増える。
商社はいくらでお客に渡しているかは明かさない。でも、実は、堀場との仕切り価格にかなり上乗せしていた。お客から聞いて「えっ、よくそんなに高く売っていたな」と驚くほどだ。その一部を乗せただけで、十分に増益となる。士気は上がり、お客のニーズや期待、不満もよくつかめるようになり、信頼関係が増した。目先の利益にこだわらずに、本当によかった、と痛感する。
「顧小利、則大利之残也」(小利を顧みるは、則ち大利の残なり)――目前の小さな利益にとらわれると、大きな利益を得損なってしまう、との意味だ。古来、中国の指導者が天下統一の理論的支柱としたとされる『韓非子』にある言葉で、届いた贈答品に目がくらんで国を滅ぼした王の故事を例に戒めている。米国の効率優先の経営手法も持ちながら、目先の利益よりも長い目でみて取り組む堀場流は、この教えに重なる。