日本の経営者やミドルはいつからか叱らなくなった――。経営学の泰斗である加護野忠男氏は言う。かつては叱ることで人を育てる文化が日本企業に根付いていた。今こそ、「叱り上手」の名経営者に教えを請おう。

日本の優れた経営者は叱り上手だった。その凄まじさでよく知られているのは松下幸之助氏である。

パナソニック創業者 
松下 幸之助 

1894年、和歌山県生まれ。松下電器産業( 現・パナソニック)を一代で築き上げた戦後を代表する名経営者。著書『指導者の条件』では、 「 小さな失敗はきびしく叱り、大きな失敗に対してはむしろこれを発展の資として研究していくということも、一面には必要」と書いている。(Time&Life Pictures/Getty Images=写真)

松下電器(当時)に工員として入社し、その後松下氏の命で三洋電機の設立に参画し同社の副社長まで務めた後藤清一氏は、松下氏に叱られたときの経験を次のように記している。

「すぐ来いッ。晩の10時ごろ。親戚の人と何やら話をしておられたが、私の姿を見るなり、人前もかまわず、こてんぱんに怒鳴られる。見かねて親戚の人もとめに入るが、それでやめるお人ではない。部屋の真中でストーブが赤々と燃えている。火カキ棒で、そのストーブをバンバン叩きながら、説教される。ガンガン叩くので、その火カキ棒がひん曲がる。フト、それに気づいた大将は、ぬっとつきだす。“これをまっすぐにしてから帰れッ”。あたるべからずの勢い。ついに私は貧血を起こして倒れてしまった。これほど生真面目な叱られ方をしていたらしい」(『叱り叱られの記 新装版』後藤清一)

期待をかけている後藤氏だからこそ、ここまで激しくなったのだが、相手が倒れるほどの勢いで松下氏は部下を叱りつけていたのである。

「叱る」は「怒る」という行動とよく似ているが、違いもある。まず「叱る」という言葉は、年長者から若年者に向かう行動である。年長者を批判することは「叱る」とは言わない。

単なる怒りとのもう1つの違いは、「叱り」には感情の表出以上のものが含まれていることである。それは人を諭す、教えるという側面である。

このように考えれば、叱るという行動は上司や年長者が部下や若い人々に対して、感情を表出させながら、その行いの誤りを指摘する行動だと言える。

したがって、その言葉の中には、若い人や部下を育てるという意味が含まれている。この意味こそ、叱るという行動の背後に隠された目的である。

「冷静に叱れ」「感情的になるのはよくない」と言う人がいるが、それでは効果がない。感情を込めて叱ることによって本当に何が大切なのか、上司が持っている価値観がはじめて伝わるからである。つまり、叱ることには「大切なことを伝える」というファンクションがある。精神を伝えると言ってもよいだろう。