日本の経営者やミドルはいつからか叱らなくなった――。経営学の泰斗である加護野忠男氏は言う。かつては叱ることで人を育てる文化が日本企業に根付いていた。今こそ、「叱り上手」の名経営者に教えを請おう。
メールでの叱責はタブーである
今の会社組織は叱り方を忘れているように見える。その一番単純な理由は、みんな叱られ慣れていないことだろう。団塊の世代が入社した頃は、まだ会社では叱るという行為がずいぶん行われていた。しかし、団塊の世代の人たちはそのありさまを見て、こんなことをやってはいけないと考えて、あまり叱らなくなったように思う。
叱り慣れていない人々が部下を叱ろうとするとき、どのような点に気をつければよいか。基本は仕事に、会社にコミットすることである。コミットがなければ「叱らないほうが得」という考えに流れてしまう。
そのうえで、何よりも重要なのは自然な感情の表出である。感情の表出の大きさは、志や企業精神を伝える重要な手段だからである。
最近はメールで部下を叱責するような上司がいるというが、これでは効果的に叱ることはできない。メールでは感情が伝わらないからである。
隔週の火曜日の朝、大阪国際空港はセブン-イレブンの車でいっぱいになる。同社では隔週の火曜日、加盟店オーナーをバックアップするオペレーション・フィールド・カウンセラーを全国から東京本部に呼び集め、会議を開催するためだ。その人数は5000人とも6000人とも言われ、交通費だけでも相当な額がかかっている。
私は疑問に思い、セブン&アイ・ホールディングスCEOの鈴木敏文氏と対談した際、「なぜこれほどのお金をかけて、東京に人を集めるのか?」と尋ねてみた。
「トップがどれほど怒っているかということは、やはり唾の飛ぶ範囲で話をしないとわからない。それでも聞いてない奴がいる」
それが鈴木氏の答えだった。
いくら感嘆符や顔文字を駆使しても、メールでは感情は伝わらない。やはりフェース・トゥー・フェースでなければ、叱ることはできないのである。
何について叱るかも重要なポイントである。
叱り上手は、意外に小さなことをよく叱っている。小事について叱ることの意味は2つある。1つは、現場の気の緩みは、まず些細なことに表れる。些細なことが守られないのは、現場の緩みの初期警報なのである。
もう1つは、人々が短絡的合理性に陥るのを防ぐこと。短絡的合理性とは、小さなことに対応するのは効果が小さいからという理由で、それを軽視してしまうという間違った合理性である。
現役の経営者で叱り上手といえば、日本電産社長の永守重信氏がいる。永守氏も「小さなことをないがしろにする行為に対しては徹底的に叱責するという風土を根づかせている」と語っている。
「ここに5個だけつくる製品サンプルの設計図がある。そこにちょっとしたミスでもあれば、わたしはそのミスを指摘して技術の担当者を徹底的に叱りつける。
こんなとき、たいてい本人は不満そうな顔をする。それでも、わたしはこんなことが2度とないようしつこく厳重に注意を与える。これで会社が損をしたとしても、たかだか5万円程度のものだろう。だからこそ、わたしはこれ以上がないほど叱るのである」(『「人を動かす人」になれ!』永守重信)