「強迫」のあとに現れた対極の手帳

2006年11月7日号特集「目標を達成するための 2007年版手帳活用術」の冒頭に登場するのがコピーライター・糸井重里さんです。この時期の手帳の動向を語る際に欠かせないのが糸井さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」から生まれた、「ほぼ日手帳」です。この手帳は2002年に1万2000冊生産された後、順調にその発行数を増やし、特に2004年から2007年にかけては3万冊、7万冊、14万冊、23万冊と急激な伸びを見せて注目を集めていました。2008年には『ほぼ日手帳公式ガイドブック』も公刊され、以後毎年新しいものが出続けています。

糸井さんは2006年特集冒頭のインタビュー(24-25p)で、手帳は「単なるツールでしかないのに、使いこなせないという言葉が出てしまう。それが残念で仕方ないんですよ」と述べます。使いこなせなくとも、白紙が多くとも、公私混同で使おうとも、「そもそも手帳は個人のものなんだから、何でも書いていい」、つまりもっと自由に使えばいいというのです。これまでに紹介してきた「手帳術」は、強固な意志で自らを管理するためのツールという向きが強いものでしたが、糸井さんは手帳に「遊びがある」ことの効用を主張し、もっと緩やかに手帳と付き合おうというスタンスをとります。

これは前回述べた夢の「手帳術」化、夢の作業化に続く大きな動きです。渡邉美樹さんに表われていたような強迫的な管理志向の「手帳術」を一つの極とするならば、その対極に、もっと緩やかで、自由な使い方、また「かっこいい」(糸井重里ほか監修『賢人の手帳術』14p)手帳を求める糸井さんと「ほぼ日手帳」が位置を占めることになるのです。こうして「手帳術」の射程範囲はより拡がることになります。

さらに言えば、これは1979年の『誰も教えてくれなかった上手な手帳の使い方』で示された、市井の人々の自由な手帳の使い方の側に再度注目するという動向といえるかもしれません。ただ、糸井さんの先の発言や、2008年以来刊行され続けている『ほぼ日手帳公式ガイドブック』においてさまざまな人の「自由な使いかた」が毎年紹介されていることを考えると、自由に手帳を使うことは「ほぼ日手帳」にとって明確に自覚されたコンセプトなのだと考えられます。その意味で、かつての自由さとは全く同じとはいえないのですが。