無口な親父さんがやっててね。僕ら、お金は全然なかったのに、腹いっぱいにしてくれるんです。親父さんの心意気なんだろうね。20歳になってまともに就職するまで、5年ぐらい通っていたかなあ。静岡県のゼネコンに就職が決まって引っ越してから、ずっと行ってなかった。
6年前、転職して飛島村に帰ってきて、後輩のインスタで日光橋食堂がまだやってることを知りました。「懐かしいなあ」と思って、戻って来たんです。
代が変わって、息子さんが店主になってたけど、優しさあふれる昭和の時代っていうのかな、あの頃のまんまだった。変わったのは、メニューに定食が加わったことかな。昔は作り置きだけだったから。今は作り置きを取って食べながら、料理が出てくるのを待っているんですよ。
「人生の交差点みたいな場所ですよ」
僕には家族もいないし一人暮らしだから、多い時は週に3、4回行ってます。もううちの台所みたいなものですよ。僕はいつも一番奥、クーラーの真ん前の席に座ります。冷風ガンガン浴びながら熱い汁飲むのがたまらなくてね。
ある日冗談交じりに、奥さんに「目玉焼き定食が食べたい」って言ってみたんです。そしたらメニューにないのに作ってくれました。たまごが二つ並んでて、後ろが少し焦げていて、箸でつつくとトロっと黄身が流れてくる。それにソースをぶっかけて、白飯と一緒に食べるんです。僕は濃い味が好きでね、目玉焼きには醤油よりも断然ソース派ですよ。
それ以来、僕の顔を見たら、なんにも言わなくても目玉焼き定食が出てくる。あのご主人、優しいでしょ。多分、常連さんの好みの味を覚えてるんだと思いますよ。
ずっと通ってる常連さんも多いんじゃないかな。聞いた話によると、昔トラックに乗ってた人が今管理職になって、若いトラック乗りを連れていくそうですよ。「伝説の日光橋食堂行くか」って。なんて言うんですかね、寝起きで寝癖をつけたまま、千円札1、2枚持って行けるような感じしません? 混んでるときは相席になったりして、昭和の時代はこうだったなあって。まさに『ミスター味っ子』の日之出食堂そのものですよ。
2代目で終わってしまうのかなあなんて、考えたりしますね。でも、自分は今47歳で、ご主人は僕よりいくらか年上のはずだから、3代目になる子がいてもおかしくないよなあとも思います。まあ、人様の家のことだから、僕がとやかく言うことじゃないので、ご主人がやれる限りは続けてほしいって思いますね。
今は夜6時半で閉まっちゃうんですけど、昔は夜9時過ぎまで開いていました。あのころみたいに夜、あそこでトラック乗りのお兄ちゃんたちと、どて煮つついてどんちゃん騒ぎしたいなあ。人生の交差点みたいな場所ですよ。みんなが「ただいま」って帰って来れる場所。
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