愛知県飛島村の「日光橋食堂」は、トラックドライバーたちが集まる人気の食堂だ。国道23号ができた1965年に、2代目店主・伊藤光利さんの両親が始めた。一時はチェーン店に押されて客足が激減したが、今ではSNSで「#トラック野郎の聖地」と呼ばれるようになった。フリーライターの宮﨑まきこさんが、“聖地”と呼ばれる理由に迫る――。
トラックドライバーの聖地へ
愛知県豊橋市から名古屋を経由して伊勢市にいたる国道23号線を、大型トラックに前後左右を囲まれながら小型車で進む。梅之郷インターからバイパスと脇道の分岐点に、「めし」と大きく側面に書かれた食堂がある。
「日光橋食堂」は、別名「トラックドライバーの聖地」と呼ばれる大衆食堂だ。
ガラガラと入口の戸を引いて青いのれんをくぐると、そこには「昭和」があった。
昔よく見ていたアニメの再放送が急に始まったような、不思議な懐かしさに戸惑う。時刻は午前10時、ちょうど朝食の客が落ち着いた時間らしく、空の皿を前にした男性客がひとり、店の隅で新聞を広げていた。点けっぱなしのテレビからは、NHKの地方ニュースが流れている。
「こんにちは」
奥の厨房から、黒いTシャツに白いタオルを首から下げた人のよさそうな男性、2代目店主の伊藤光利さん(58)が顔を出した。
「うまい、早い、安い」の三拍子そろった食堂
日光橋食堂は、2025年に創業60年を迎える。田んぼの中に敷かれた道路が「一般国道」に指定された1965年、光利さんの父・武男さんと母・てる子さんが掘っ立て小屋を建て、小さな食堂を始めた。
当時は配膳台にあらかじめ作った料理を並べ、それを客が自分で取って食べる形式のみ。「うまい、早い、安い」の三拍子がそろい、また交通の要所だったことも追い風となり、いつしか長距離トラックドライバー御用達の食堂へと成長していった。
ときはバブル前夜。日本中が上昇気流に乗る中、西へ東へと走るトラックドライバーや名古屋港で働く労働者が訪れ、食堂はいつも客の野太い笑い声と忙しく食器を重ねる音に満ちていた。