父親から無理やり覚醒剤を買わされた人も…
ただ、残酷なことに、私のもとを訪れる訳ありの人々は、親に愛されていないケースが目立ちます。なかには、父親に覚醒剤を仕入れてくるよう命令されたり、親族から性的暴行を受けたりと、信じがたいような経験をされてきた当事者もいる。だからこそ私のもとを頼ってくるのです。
私自身もまた、歪な家庭で育ちました。父は大酒飲みで放蕩し、家計を補うため母が夜遅くまで水商売に従事していた。夜遅くまで両親が家にいない日が続き、寂しさから非行に走り、ヤクザとなって薬物にはまり、犯罪歴を重ねていきます。
そんななか、私が再起できたのは、獄中で聖書のレクチャーをしてくれた月岡世光先生に出会えたからでした。月岡先生は、山形県米沢市で「月岡でんき」という電気店を経営しながら伝道活動や社会福祉活動をされている方で、赤の他人である私に、文通を通して聖書を教えてくれました。月岡先生が「神は見放すことはない」と鼓舞してくれたおかげで、私は「この神様に間違いないなし! 賭けて負けなしだ!」と強く感じました。
伝道者との出会いに救われ、気にかけてくれた人を裏切りたくない思いも重なり、再起する原動力につながったのです。月岡先生は亡くなりましたが、現在は娘さんご夫妻が月岡でんきの経営を引き継いでおり、いまでもときどき山形まで会いに行っています。私は月岡先生のようになりたいと思って生きてきました。いまの活動は、私が月岡先生にしてもらったことをほかの人にしているのです。
「自分を受け入れてくれた」という経験が重要
こうした成功体験があったからこそ、私も不遇な方に手を差し伸べたいと思うようになりました。必ずしも、親からの愛情を十分に受けれなかったとしても、キリスト教や教会を通じて手を差し伸べたいと使命感に駆られたのです。
それに、住み込みで他人と共同生活したり、毎週の礼拝に通うことで、自然とコミュニティにも属することができる。周りとつながって孤独感も薄れることで、誤った道に進む可能性が減り、一人で路頭に迷うことも防げるはずと考えています。親からの愛情を十分に受けられなかったとしても、少しずつ人とのつながりを結んでいくことで「自分を受け入れてもらえた」という経験を積み重ねていくことができるのです。
社会復帰できるかどうかの分かれ目は、「自分を受け入れてくれ、頼れる存在がいるかどうか」にかかっています。当然のような結論ですが、私はキリスト教によって救われ、教会が拠り所になっています。
とにかく手放しで喜んでくれる誰かの存在が重要なのです。親兄弟、友達に見放されて「ここ」にやってくる。私たちが彼らの更生を手放しで喜べる「家族」になってやりたいと思っています。そんな教会なんです。
とはいえ、なかなか現実は厳しいものです。さきほどもお伝えしたとおり、教会に住み込んだ人が社会復帰にいたるのは約2割、その後も教会に通ってくれる人は1割ほどです。ただそれでも、救いを求める人のため、今後も活動を続けていきます。