「暗い過去」を打ち明けられる人ほど更生できる

ただ、膿を出し切らないと、余計に周りの目を気にしたり、自分の理解者はいないと思い詰めてしまい、かえって精神的な負担がかかってしまう。とりわけ生育環境で、親からの愛情を受けれなかったような子供は、自尊心が低く、自分を追い込んでしまいがちです。だからこそ、ひた隠しにしたい過去を、適切な相手にさらけ出すことが重要なのです。

そこで私は、聖書を読むなかで、「罪を告白すればゆるされる」と呼びかけています。あるいは私自身が、これまで違法薬物に溺れたり、逮捕歴があったりしたことを赤裸々に語り、苦しんでいる人が「自分の過去を打ち明けてもいい」と思えるよう後押ししています。

そして、各々が暗い過去を告白してくれたら、「つらい状況でよく教会まで足を運んでくれた」と声をかけるようにしています。

そうすれば、当事者の自己肯定感が高まり、些細な不安に苛まれたり、自分を責めることも減っていく。自分が信頼できる人や、つらい時に頼る存在がいれば、社会復帰に挫折する確率も低くなると考えています。反対に、どこにもつながれず孤立してしまう人は、再び逮捕されたり、依存症に陥ってしまうパターンが多いのです。

「頼れる存在」の有無が分岐点になる

聖書には、「愛の反対は恐れ」という一節があります。端的に説明すると、ここでいう「愛」とは、「自分を受け入れてもらえた状態」です。対して「恐れ」とは、いわば罪を告白せず、神(あるいは理解者)とつながっていないことで生じる感情と捉えてください。

人は後ろめたいことを一人で抱え込むことで、世間からの体裁を気にして、自然と懐疑心が生まれてくる。そして他人を信用できなくなり、どんどん内向きになってしまうのです。

撮影=プレジデントオンライン編集部
聖書の言葉が、自立支援のための糸口になっていると語る進藤牧師

日常生活で訪れる不安の多くは、杞憂きゆうであることが多いものです。それにもかかわらず、身体に染みついた過去の失敗や挫折は強烈で、なかなか払拭するのが難しい。しかも人は、同じ過ちを犯すことに敏感です。そうした性質からも、人は誰かに承認されていないとこもりがちになってしまうのです。

これが罪を告白して赦されることで、自分は見放されていない、神とつながっているという安心感を得られる。そうすると、ネガティブな感情に支配されることが減り、道を切り開いていける。「自分を受け入れてもらえた」と実感することで、がんじがらめな状態から解放されるのです。

本来であれば、自己肯定感を育んでくれるのは親のはずです。私もこれまで、教会の住み込みを通して、さまざまな人の自立支援に携わってきましたが、更生できるかどうかの分岐点は「頼れる存在がいるかどうか」が大きい。それは揺るがない事実です。