どんな状況からでも、必ずやり直すことができる
翌年には、コロナで礼拝ができない危機が訪れたものの、新しい教会を設立した後でも刑務所伝道は並行して行っていたので、全国からの献金で生活できました。いまとなっては、2000万円近くある借金も半分近くまで返済し、2029年には完済する見込みです。
振り返ってみれば、話が出来すぎていると思われそうですが、こうした牧師の活動だけで生活できるようになったのも、獄中で“どん底”を経験したからだと強く感じています。また、刑務所伝道で多くの人とつながれたこと、そして「自分は神様から見放されることはない」と実感できたことが大きかった。やさぐれていても、誰か手を差し伸べてくれる人がいるというつながりが、自分を鼓舞する原動力につながりました。
この記事を読んでいる方のなかにも、なにかしらの事情で、「自分はダメな人間だ」と、自暴自棄になっている人がいるかもしれません。ただ、私がキリスト教に出会ったように、人は完全に孤立することはありません。それは自分が気づいていないだけで、どれだけ悪い状況に陥ってしまったとしても、そこから這い上がれるきっかけは必ず存在しているのです。
(後編に続く)