キリスト教はなぜ世界宗教になったのか。歴史を遡ると、ローマ帝国で信者が増大した後に迫害に遭ったが、感染症をきっかけに広まったという。ジャーナリストの池上彰さんが書いた『聖書がわかれば世界が見える』(SB新書)より紹介しよう――。

※本稿は、池上彰『聖書がわかれば世界が見える』(SB新書)の一部を再編集したものです。

やたらドラマチックな星条旗と教会
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世界各地に離散した「イエスを殺害した者の子孫」

キリスト教が始まった当初は、ユダヤ教の一分派に見られていましたが、それが世界に広がるきっかけとなったのは、ローマ帝国の国教となったからです。その歴史を見ておきましょう。

イエスが十字架にかけられた当時、ユダヤはローマ帝国の属州でした。この地域を統治する皇帝の名代が派遣されていました。それが総督ピラトです。

イエス亡き後、イエスの弟子たちは、ローマ帝国内での布教を開始します。とりわけローマ帝国の本拠地ローマを目指しました。

一方、ユダヤでは紀元66年からローマ帝国の支配に反発する人々が反乱を起こし、ローマ帝国と戦争になります。これが「ユダヤ戦争」です。2回にわたった戦争で、ユダヤ教の神殿は破壊され、ユダヤ人たちはエルサレムに立ち入ることを禁止されます。

その結果、ユダヤ人たちはヨーロッパをはじめ世界各地に離散していくことになります。これを「ディアスポラ」(大離散)といいます。各地に散ったユダヤ人たちは「イエスを殺害した者の子孫」として差別・弾圧されることになります。

イエスが誕生する前の古代ローマは、共和制をとっていました。奴隷制が支えとなっていましたが、ローマ市民は自由な活動ができ、民主政治を実現していました。

もともとはイタリア半島の都市国家から始まりましたが、紀元前1世紀末には地中海全域を支配するまでになりました。

ローマ帝国で信者が増大

しかし、紀元前27年に共和制から帝政に移行します。つまり皇帝が統治する帝国になるのです。イエスが十字架にかけられた頃には、すでに帝国になっていました。

帝国も、誰が皇帝になって統治するかによって、発展もすれば衰退もします。2世紀には「五賢帝」と呼ばれる賢い皇帝が5代続き安定した時代が続きました。

当時、「すべての道はローマに通じる」と言われました。繁栄したローマは道路を整備し、ヨーロッパ各地に広がりました。当時のローマ帝国は、まさに“世界”。ローマを制すれば世界を制する状態だったのです。