キリスト教の大原則「三位一体」成立

ローマ帝国内でキリスト教が広がる過程で、信者たちの間で議論が起こります。イエスは人間なのか、「神の子」なのか、という問題です。この点で、アリウス派とアタナシウス派の対立がありました。いずれも提唱者の名前です。

アリウス派は、イエスは神によってつくられた人間であり、神ではないと主張しました。神聖ではあるが、神性はないというわけです。

一方、アタナシウス派は、イエスは「神の子」であり、神性を有すると主張します。

キリスト教徒がイエスの解釈をめぐって対立したことを憂慮したコンスタンティヌス帝は、キリスト教徒の間での意思統一を図るため、ニケーア公会議を開催します。

公会議とは、各地の教会の指導的立場の人たちが結集する会議です。教会によって解釈の異なることが起きると、ここで意思統一を図るのです。議論が分かれた場合は多数決を取り、多数派の解釈が正しいとされます。

325年、現在のトルコに当たるニケーアにキリスト教の指導者たちを集めて教義の統一を図ったのです。これが「ニケーア公会議」です。

その結果、アタナシウス派が勝利し、アリウス派は異端とされます。

しかし、その後も教義論争は続きます。イエスが「神の子」であれば、神の子も神となり、神様が2人いることになってしまうのではないかという問題提起です。

池上彰『聖書がわかれば世界が見える』(SB新書)
池上彰『聖書がわかれば世界が見える』(SB新書)

この教義の統一は、381年、テオドシウス帝によってコンスタンティノープル公会議で図られます。

それが「三位一体」(トリニティ)という考え方です。

ここでは「父と子と聖霊」という概念が用いられます。神も子も聖霊も、それぞれ別のペルソナ(位格)を持つが、神であることにおいてはひとつであるという考え方です。3つの位格は本質においてひとつであるというもので、この考え方を「三位一体」といいます。

これは『旧約聖書』にも『新約聖書』にも記載のない教義ですが、信者たちによる会議で確立したのです。これ以降、三位一体はキリスト教の真髄となる教義として定着しました。

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