そしてその代わりに用意されたのが、NHKの若泉元理事とSMILE-UP.社の補償本部長という「スケープゴート」だった。NHKの上層部は誰も出てこない、これでは体裁がつかないとなったときにターゲットとなった若泉氏への突撃取材を当のNHK上層部がOKしているという事実は、「辞めた人間だからいいんじゃない?」という思惑が働いたと指摘されても仕方がない。
「ストーリーテラー」を担わざるを得なくなった
以上のような事情で、たかだかAD時代に3年弱、旧Jと接点があったに過ぎない私にストーリーテラーのような役割を担わせざるを得なくなった。そのためには“堂々と”“自信をもって”代弁してもらわなければならない。そういった理由で、私の「大股開き」で高圧的な、だが、一見“威厳がある”ように見えなくもないカットが多用されることになる。
この「大股開き」の映像に関しては、いまは気持ちが落ち着いているが、当時はかなり動揺した。私自身があんな姿を撮られているとは思っていなかったからだ。初めて放送で見て驚いたが、映像の専門家であったにも関わらずあまりにも無防備だったと反省をしている。
制作者側にはそこまでの強い意図はなかったかもしれないが、「ネットなどで炎上すること」がわかっているのに削除やサイズ変更を指示しなかったNHK上層部の頭のなかには、私に「悪者になってもらおう」という意識がなかったとは言い切れない。番組冒頭で述べられた私の経歴を知るよしもない途中から見た人は、完全に「長年、旧Jべったり」で芸能界を生きてきた人間だと思っただろう。
遅すぎる情報解禁
中川氏とのやり取りのなかで私が直感したことがある。
彼らは、実は辿り着いていた。NHK上層部の然るべき人物をインタビューの場に引きずり出すことに成功していた。だが、その映像は直前になって削除することを指示されたのではないか――ということだ。
何かにつけこまめに連絡があった中川氏から放送日直前になっても「放送解禁」の連絡が来ないので、私は「おかしいな」と思っていた。しびれを切らしてメールをした私に、短く中川氏は「まだ編集中です」と答えた。それは、放送2日前の10月18日のことだ。
情報解禁が異常に遅いのも気になった。番組は通常、1週間ほど前には情報を解禁して宣伝を始める。ドラマはさらに宣伝期間が長く、解禁は1カ月前くらいにおこなう。NHKスペシャルのような大型の番組であればなおさらである。
番組の情報と放送日は、中川氏が編集を続けている真っ只中の同日12時にやっと解禁された。もしかしたら、最後まで当該のインタビューを「切る、切らない」といったような闘いが上層部と現場の間で繰り広げられていたのかもしれない。最後に流れた「お断りテロップ」を入れるほどの直しに、編集の手間がかかったとも思えないからだ。
最終的には現場がNHK上層部の然るべき人物のインタビューをカットすることを“しぶしぶ”受け入れて、上層部が「放送を発表しても大丈夫」と判断し、「放送解禁」となったのではないか。私は、確信に近いそういった思いを抱いている。