「すらすら音読できる子」がハマる落とし穴
さて、次に例に挙げるのは、音読の宿題に取り組む子どもとお父さんのやりとりです。短い会話ですので、まずは目を通してみてください。
「宿題の音読はできた?」
お父さんが気になった様子でたずねます。
「うん、さっき一人のときにきちんと読んだよ」
「……もう読んだの? 聞きたかったなあ」
どうしても確認をしたくて、お父さんはもう一度読むことをうながします。
「しょうがないなあ、いいよ! ちゃんと聞いていてよ……『おじいさんが……』」
お父さんは、子どもが一生懸命に読む様子を目にしました。途中でつっかかる様子も見られず、漢字の読み方があやしいところもありません。内心ほっとしたようです。
「すごい、上手じゃないか! すらすら読めたから、びっくりしたよ!」
「だから、読めるって言ったでしょ! 得意だもん。もう一回読んであげようか?」
お父さんはうなずきながら、子どもにほほえみかけました。
――いかがでしたか。子どもはお父さんに認めてもらえて、うれしかったことでしょう。日常にこんなやりとりはありますよね。でも、この事例にもことばの意味と価値の問題が隠れています。
一見、何気ないやりとりのように感じられますが、このとき子どもは、「読む」ということばをどのように学習しているでしょうか。注目したいのは「読む」の内容です。
上手に本を読めても、本の内容は読めていない
音読したかどうかを問われて、子どもは「きちんと読んだよ」と発言をしています。子どもにとってみれば、自分の音読に問題を感じることはなかったのです。
その後、お父さんは実際に確認したかったので、もう一度読むことをうながしていますね。子どもの音読を耳にして、最後にはお父さん自身も「上手じゃないか」と評価しています。
これまでのやりとりをふり返ってみても、お父さんと子どもの「読む」ということばの意味合いにずれはありません。しかし、今回はそれが問題なのです。
お父さんは、子どもが「すらすら読めたから」おどろいたようです。よどみなく読むことができたことを褒めているのです。
少なくともこの音読の宿題を通じて、お父さんが子どもに与えている「読む」ということばの意味と価値は、「書かれている文章を声に出して表すことができる」という内容です。子どもはそのように学習しています。
もちろん、間違ってはいません。でも、このまま成長していくと、子どもは「読めない子」になっていく可能性があるのです。