音読した「内容」を子どもに質問してほしい

大人が「すらすら読めること」を強調しすぎてしまうと、子どもは音声としてなめらかに読むことばかりに意識が向いてしまいます。先に挙げたお父さんと子どもの音読のやりとりの例をもう一度見返してみてください。

単純に表面的な音読だけを褒めれば、子どもは「ことばや文章を通じて感じとることや考えること」からだんだんと遠ざかっていく危険性があります。

でも、親が子どもに身につけさせたいと願っているのは、こうした物事を考える土台となる読む力でしょう。

一方で、ことばや文章から感じたり、考えたりしながら読むためには「何を読みとるか」という観点を知らないとむずかしいものです。物語であれば「主人公(中心人物)」、「登場人物」、「語り手」、「場面」など、理解の手がかりとなる最低限のことばを知っておくことは必要です。

「主人公に何らかの変化が起きる」という物語の基本的な枠組みに関する理解も求められます。いい物語だと感じたり、評価をしたりするためには、物語に対する一定の基準がなければいけません。

こうした知識はさまざまな読書を通じて、経験的に身につくこともあります。しかし、自力で気がつける子はそれほど多くはありません。

だから、子どもに自覚をさせたければ、内容に関わる質問をすればいいのです。

「登場人物の気持ちを考えると、この台詞はどう読めばいいかな?」、「物語のはじめと終わりで、主人公はどう変わった?」などといった感じです。質問を通じて、自然と子どもに読みの観点を与えていくのです。

こうした問いかけをしてみると、子どもが本当に読めているかどうかがわかるはずです。その場合、「読む」の意味は「文章に書かれている内容を正しく理解しながら、声に出して表現できる」になります。

小さな女の子と母で読書
写真=iStock.com/kool99
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大人の声かけで「読む」の意味が広がる

先ほど音読の例で挙げた「読む」との微妙な違いは分かりますか。

「内容を正しく理解しながら」という点が加えられています。物語であれば、登場人物のわずかな気持ちの変化に気がついているのとそうでないのとでは、理解度はまったく違ってくるはずです。

岸圭介『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』(筑摩書房)
岸圭介『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』(筑摩書房)

例えば、何気ない台詞である「おはよう」でも、文脈によって意味は大きく異なります。

朝、お母さんに叱られた子が教室に入ってくる「おはよう」と、途中で忘れ物に気がついた子の「おはよう」は、ことばとしては同じです。両方ともに気持ちも落ち込んでいます。しかし、音読の仕方は微妙に違うものになります。

前者の「おはよう」であれば、お母さんとの関係も音読には反映されるはずでしょう。本人が叱られた内容に納得しているかどうかも表現にとっては重要です。

後者の「おはよう」であれば、忘れ物の中身も音読に影響されるべきでしょう。一日を左右するような忘れ物であれば、ただ落ち込む程度の表現ではすまされないはずです。

このように「音読の表現」と「内容や形式の理解」が一致することが理想的な読みといえるでしょう。

もちろん、本文の理解ができていても、声に出して表現することを苦手とする子もいます。その場合は、内容がわかっていることが確認できれば、その事実を褒めてあげればよいのです。

子どもは大人からの内容に関わる問いかけを通じて、「読む」ということばの意味を広げていきます。ただ声に出して読めばいいものではないと学んでいくのです。

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