「いい子」として暮らすことを内面化した結果

若い男性にとって女性との「恋愛関係」を目指すことによるうまみが減りしんどさが増す一方で、男同士の遊びの関係は昔と変わらない姿のままであることも、恋愛離れに拍車をかけた。男同士の遊びのなかでは、異性との恋愛のような倫理的葛藤を感じる必要がなく、リラックスしたコミュニケーションを楽しめる。結果として、男同士のホモソーシャルな絆にコミットすることで得られる“楽しさ”が相対的にますます大きくなっていった。女性との積極的なかかわりを避ける男性も、気が置けない同性の友人同士で開催するバーベキューになら積極的に参加する。

社会的望ましさ、道徳的ただしさ、人権感覚のアップデートなどを絶えず求められ、つねに「いい子」として暮らすことを内面化している大半の健全な一般男子にとっての恋愛は、政府が考えているよりもずっと「よくないこと」になってしまっている。

「トライ&エラー」の余地が失われた

これまで述べてきたように、恋愛することそれ自体が不道徳的で反倫理的な営為となり、認知的にもストレスフルなのに、成功が十分に保証されているわけでもないという、若者たちにとってはきわめて「コスパ」の悪い営みになってしまっている。

御田寺圭『フォールン・ブリッジ 橋渡し不可能な分断社会を生きるために』(徳間書店)

わが国では2023年7月からの刑法改正により、旧来の「強制性交罪」から「不同意性交罪」に改められた。「望ましくない性的関係」に対する制裁を重くする流れもまた、若者たちにとっての恋愛の「コスパの悪さ」に拍車をかけている。

女性に対して侵襲的でも加害的でもなく、キモさや不快感も惹起しないようなスマートなコミュニケーションは、一朝一夕で手に入れられるものではない。数えきれないほどのトライ&エラーによってしか獲得しえない。

だが「エラー」がひとたび起こってしまったときに生じる法的・社会的な制裁を致命的なまでに高めてしまえば、当然だれもトライしなくなる。なにをもって「同意」とするのか、その線引きや基準がきわめて不明瞭なまま議論が進む不同意性交罪は、まさに「エラー」を致死的にする施策に他ならない。