売り上げ1日2万円台が続き、給料は半分に

オープン景気はあったが、1日50~60杯に落ち着き始め、その後いきなり1日20~30杯という日が出てきた。独立して給料は『六厘舎』時代の半分になった。

そのうち、雨の降っていない天気のいい日にも20数杯で止まるようになり、そんな日が何日も続いた。エリア的につけ麺が浸透していなかったこともあり、時には「ラーメンないの?」とキレて帰るお客さんもいた。タバコを投げつけられたこともあった。

オープンから3カ月たった頃に、つけ麺の種類を増やし、麺の改良を行った。製麺をお願いしていた「浅草開化楼」の製麺師・不死鳥カラス氏に頼み込み、全粒粉入りの特注麺を開発してもらった。その甲斐もあり、次第に売り上げが上がっていった。

筆者撮影
麺は全粒粉入りの特注麵を使用している

「六厘舎」出身ということもあり、美味しいつけ麺を広げたいという思いがあったが、1年お店を続けてきて、ラーメンの需要を改めて感じ、冬の夜には「夜鳴きそば」を提供し始め、人気を博した。

瀨戸口さんが目指したのは、家族でも行ける専門店の味、かつ週2回食べられるつけ麺だ。

「大人だけで行ける店と、子連れで行ける店はまったく違うものです。子連れだと下手するとファミレスしか入れません。『さなだ』はそんな子供連れのファミリー客が入れるお店を目指しました。

高齢の方でも食べられるように、鶏を使って濃度を抑えながら食べやすいつけ麺を作り上げました」(瀨戸口さん)

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ピンチを救ったのは「常連客」だった

敷居の高いお店ではなく、あくまでフレンドリーで気さくな感じのお店を目指した。おかげで土日は家族連れで大行列になった。常連客がメインで、週1来てくれる人もたくさん現れた。

ドロドロのスープではなく、あっさりめに仕上げることで、スープを残されることもほとんどなかった。

のちに女将になるまやさんと瀨戸口さんは家族ぐるみの付き合いだった。実はまやさんのお父さんが「さなだ」のオープン日に食べに来ていた。その美味しさに感動したお父さんは、妻と娘のまやさんを連れてよく通っていたという。「さなだ」が従業員を募集した時は、最初にお母さんが応募してくれて、半年間働いてくれた。

従業員が足りなくなった時にお母さんに相談をすると「もううちの娘ぐらいしかいないよ」と言われ、今度はまやさんが働くことになる。こうして「さなだ」は母娘の働く店となる。

大学卒業まで働いたまやさん。瀨戸口さんはそれまで誰にも頼らず一人でお店を続けてきたが、次第にまやさんにお店の悩みを相談するようになる。ここから仲良くなり、2人でお店を作っていく素晴らしさを知る。

瀨戸口さんの好きな「こうかいぼう」にも一緒に行き、まやさんはその接客に感銘を受けて突撃取材し、「女将」をテーマに大学のレポートを作成した。まやさんとの出会いで、女性の視点の大切さを瀨戸口さんも学ぶことができた。