挫折を機に心血注いだWebマーケティング

2016年3月、岡村さんが店長を務めた店は、1年たらずで廃業した。原因は、「私に経営全般に関する知識がなかったから」。必死の立て直し策を打つものの、経営状態は改善されなかった。

人生初の挫折。店舗はなくなり目標を失った。会社を辞めることも考えた。

ところが、会社からは岡村さんをとがめる言葉は一切出なかった。店舗切り盛りに必死な姿を知っていたからだ。スタッフからは「岡村さんと一緒に働けてとても幸せでした」と感謝の言葉をかけられる。

それでも本人は自分の不甲斐なさで打ちのめされそうになった。プロジェクトを台なしにしたこと、結果的にスタッフの職を奪ったことなど、自分を責め続けた。

後日、岡村さんは別のラーメン店の店長に任命される。挽回のチャンスを与えられたのだ。

「落ち込んでいる暇はない、Webマーケティングを学ばなければ」

岡村さんはビジネス塾に通うことを決意。集客を学ぶスクールの門を叩いた。気になるセミナーはすべて受講、新幹線に乗って東京と大阪に何十回も通った。費用はその都度、給料や貯金からまかなった。

投資額は5年間で総額300万円を超えた。経営を他人任せにできない一心からだった。

店長としても毎日現場に立つ。メガネとマスクは常に装着し、皮膚の保護のため長袖を着用。小麦成分が体内に入らないよう万全の対策をとった。

小麦アレルギーの人たちの“孤食”を解消したい

小麦アレルギー発症後は、孤独に悩むようになった。

小麦含有の食材が多く、家族や仕事仲間と一緒の食事ができないからだ。パンやパスタなど、いつも食べていたものは全く口にできない。醤油などの調味料にも小麦は使用されている。微量でも小麦成分が体内に入れば、アナフィラキシーを起こす可能性がある。

しかし多くの人は、その不便さを知ることはない。例えば、加工食品の原材料表示は義務化されているが、飲食店ですぐに提供される料理には表示する必要はない。そのため外食時には、原材料に何が使われているのか、調味料にいたるまで店員に詳しく聞かなければならない。食事をするだけで命の危険と紙一重なのだ。

「ちょっとなら食べられるでしょ?」
「好き嫌いが多いんだね」

まわりから、悪気なくこんな言葉をかけられる。つらさを訴えても正しく伝わらず、次第に諦めるようになった。小さなストレスが蓄積し、ついには1人きりで食事を摂るようになる。

孤独を解消するべく、岡村さんは小麦アレルギーの情報収集をした。しかし、子供の情報しかなく大人に特化した内容は見つからない。

「大人の小麦アレルギー持ちの人が知りたいと思う情報を当事者に届けたいと思い、ブログとインスタグラムをはじめました」

毎日投稿するも、1年間はほとんど何の反応もなかった。それでもやめなかったのは、特別な才能もない、器用にこなせるタイプでもない、と自己分析できていたから。「継続だけが自分にできることだ」と毎日発信することを心がけた。

撮影=野内菜々
小麦アレルギーの人だけでなく一般の人にも手にとってもらうため、デザイン全般もおしゃれで素朴、環境に配慮したものを意識した。健康リテラシーが高い層に届くように「グルテンフリーの専門店」と添えた。

すると「私も大人になって小麦アレルギーを発症しました」とぽつりぽつりとコメントが寄せられるようになる。同志の存在に励まされた岡村さんに胸にある目標ができた。

「グルテンフリーの店をつくりたい」

自分と同じ小麦アレルギーの人が集える場所をつくろう、いやつくらなければならない。そう強く決心したのだ。