専業主婦からラーメン店店主へ
岡村さんはもともと専業主婦だった。長女が先天性心疾患を持って生まれ、育児と通院の目まぐるしい日々を送った。2年後に長男を出産。長女の容体が落ち着いた頃、働き始めた。パン屋でのパート勤務だったが、ある日、油そば専門店「歌志軒」のパート募集に応募して即採用決定。持ち前のコミュニケーション力を接客に活かした。
2年後、店を運営する会社内で動物性食材不使用のラーメンとカフェを融合した新店出店計画が浮上する。岡村さんは新店で働きたいと懇願するが、正社員になるのが必須条件だった。育児との両立が不安の種だったが、夫の後押しもあり正社員に。晴れて新店の店長に決まった。
突然発症した、重度の小麦アレルギー
2015年4月に新店がオープンした。場所は、市内の主要なJR駅前一等地。斬新な店舗スタイルは注目を集め、テレビや雑誌に数多く紹介され、話題になった。しかし、日に日に客足は落ち、食材廃棄が続く。毎月の家賃代65万円と人件費、コンサルティング費用は支払わなければならない。赤字続きに岡村さんは頭を抱えた。
肝心の集客はコンサルに一任。岡村さんはオペレーションで手いっぱい、現場でできる集客は、駅前でチラシ配布するのみだった。
当時の岡村さんのITスキルは、スマホの電話とLINEだけ。そのため、何のSNSを使い、誰をターゲットに、どんな発信をしているのか、全くわからなかったと話す。
「Webマーケティングの知識が私に圧倒的に不足していたため、コンサルの提案が適切かどうかを判断できませんでした。日々の業務をこなすのに精一杯。結果的にコンサルに任せきりになり、自ら集客の知識を学ぶ必要性に気づけなかったんです」
さらに悲劇が起こる。
仕込みの最中に突然倒れてしまったのだ。ただ事ではないことは誰に目にも明らかだった。顔がパンパンに、真っ赤に腫れ上がった。呼吸さえもままならない。ビクビクと体は痙攣し、嘔吐を繰り返す。次第に意識もなくなった。居合わせたスタッフも命の危機を感じる状況だった。
救急車で病院に運ばれ、処置を経て幸い2時間ほどで症状が寛解。後日詳しい検査をし、医師から病名を告知された。「重度の小麦アレルギー」で、店内でのあの症状はアナフィラキシーショックだった。今後、口にしたものの中に小麦粉が“混入”していたら、最悪の場合、死ぬかもしれないのだ。
「ラーメン店で働いているのに、一生小麦を食べられない。すごいショックでした。退院後に世の中の食べ物を調べると、想像以上に小麦が含まれていると知り、絶望しました」
アドレナリン自己注射薬「エピペン」(※医師の治療を受けるまでのアナフィラキシー症状のショックを防ぐ補助治療剤)を常に2本持ち歩き、発症した際、意識がなくなる前に自己注射で症状を抑える。命の危険と常に隣り合わせの生活に激変した。