江戸時代以降も堕胎の方法は、女性にとって危険すぎた

江戸期の方法は①薬を飲む②機械的方法(施術)の二種類があり、薬は毒薬を飲ませて中毒症状を起こさせるというもので、「月水早流し」などの名称で民間で売買されていた。施術は、腹部に強い振動を加える、腹部を圧迫する、子宮に棒状のものを差し込む、といった方法だった。

論文「同意堕胎罪・業務上堕胎罪における母体への『同意傷害』」(田中圭二、1994年)によると、明治期も江戸期に続き薬が使われたが、効果が薄かったため、手術が主流だった。薬の成分は不明だが、下剤または中毒薬で、なんらかの草や根など、ある種の有毒菌類だったとされる。手術は、子宮口からカテーテルなどを挿入して子宮内膜から卵膜をはく離させて陣痛を起こし、排出させる方法が主に用いられていた。医師以外の者が手術をすることもあったという。薬の場合は中毒によって、手術は消毒法が十分でない中で母体を損傷するため、死に至る可能性は十分あったといい、いずれも命の危険をともなう方法だったと言えるだろう。

避妊のために薬を飲み、若くして亡くなった「からゆきさん」も

シンガポールのからゆきさんが「避妊のために薬を飲んでいた」という証言もある。現地で亡くなったからゆきさんが葬られているシンガポール日本人墓地公園で長年ガイドをしているという女性が、活動を紹介する動画で、現地の元からゆきさんから聞いた話として、「避妊のために薬を飲み、体を悪くして若くして亡くなる女性がいた。若くして亡くなったのは自殺じゃない。自殺をする自由もなかった」と明かしている。

日本では現在でも中絶方法としては手術が主流(経口中絶薬が2023年4月に承認されたが、処方は一部医療機関にとどまる)で、母体への負担が大きいと指摘されているが、明治期の中絶の危険性はもちろんその比ではなく、命がけだった。シンガポールでも避妊などのために薬が用いられて死に至った女性がいたとみられ、中絶・避妊が女性の心身へ及ぼす影響は非常に大きかった。春代は命は助かったものの、インタビューで動揺した様子がみられることから、晩年まで心の傷はいえなかったようだ。

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イギリス統治時代のシンガポール(※画像はイメージです)