マグロを逃がす機構がどうしても必要だった

彼が興した泉井鐵工所の業務は漁船の動力だった焼玉エンジンの修理だった。エンジンが壊れては肝心の操業ができない。漁師たちは「焼玉のことなら神戸帰りの泉井だ」と安吉を頼ってきたのだった。安吉は簡単な修理であれば港で行い、時間のかかる場合は工場へエンジンを運んできた。泉井鐵工所は創業してから日を置かずにエンジン修理に長じた町工場として評判になり、仕事を切らすことはなかった。しかし、安吉は少しも満足していなかった。

高知県室戸市にある、泉井鐵工所本社。1923年に創業し、今年で101年目を迎える。

エンジンの修理だけでは工場を大きくしていくことはできない。自社製品を作り、会社を伸ばしていかなくては修理屋で終わってしまう。

「マグロの巻き揚げ機械だ」

会社をつくった日から安吉は焼玉エンジンの修理をする一方、夜になるとマグロを巻き揚げる機械の製造に取りかかった。工夫を重ねた結果、第1号機ができたのは創業の翌年、1924年である。名称はラインホーラー。ラインは釣り糸、ホール(haul)は引き揚げる。ラインホーラーとは釣り糸を巻き揚げ、マグロを引き揚げるという意味の言葉だった。

写真提供=泉井鐵工所
泉井鐵工所の室戸本社工場内ではラインホーラーのほか、アンカーや漁網を巻き揚げる舶用ウインチの製造も行う。

第1号機ができたはいいものの、実際に海で使ってみなくては性能はわからない。安吉は懇意にしていた船頭、吉岡和市に頼み込んで、吉岡が所有していた虎丸(19トン40馬力)に据え付けてみた。そして……。虎丸は室戸の港を出ていった。

港に戻ってきた吉岡は機嫌が悪かった。安吉が「どうか?」と訊ねても手を振って、「のうが悪い(具合が悪い)」と吐き捨てるだけ。

重ねて問いただしても「これでは使えん」。

乗組員にも聞いてみたが「マグロの口が切れる」「縄が切れる」と言うだけだった。

開発した1号機は単に定速で巻き揚げるウインチだった。100キロのマグロがかかったとき、パワーをかけて、どんどん巻き揚げていったら、マグロの口にかかった釣り針があごを引き裂いてしまう。もしくはマグロの逃げようとする力が強ければ縄が切れてしまう。

「口が切れる」「縄が切れる」とは、定速で回るウインチではマグロの漁には使いようがないということだった。

人間が釣りをする場合、獲物がかかったら、いったん、糸を流して泳がせる。だが、定速で回ることしかできないウインチでは魚を泳がせることができない。

安吉は対策を考えるため、自ら漁船を買うことに決めた。しかし、余分な金は持っていない。そこで、捕鯨の砲手をして、金を稼いでいた弟の守一に相談することにした。捕鯨船に乗り組み、すでに「日本一の砲手」と呼ばれていた守一は生涯に9000頭以上の鯨を撃った男だ。勤めていた大洋漁業(現・マルハニチロ)では砲手として初めて取締役にも抜擢されている。若いときから金を稼いでいた守一は結婚資金として貯めていた金を残らず兄に渡した。

安吉は中古の漁船、亀宝丸(19トン40馬力)を手に入れると、甲板にラインホーラーを設置した。マグロを狙うとともにラインホーラーの改良に挑んだのである。航海のたびにラインホーラーを駆動させ、ギアを取り付けたり、回転がストップする機構を入れてみた。だが、100キロものマグロが引く力は強い。かかったとたんに機械をストップしても、強い力がかかればライン(釣り糸)は切れてしまう。ストップするだけではなく、ラインを繰り出していって、マグロを逃がしてやる機構がどうしても必要だったのである。

漁船を買い、何度も海に出たことで、改良する箇所はわかった。しかし、解決法が思い浮かばなかった。そして、漁船を買ったはいいが、船の水揚げは少しもあがらなかった。八方ふさがりとはこのことだ。安吉は焼玉エンジンの修理を続けながらも、頭のなかはラインホーラーのことでいっぱいだった。だが、それから4年間、彼は解決の糸口さえ見つけることができなかったのである。