自分の利益ではなく仲間のために作った機械
漁業に従事する人たちの労働は過酷だ。特にマグロの延縄漁は過酷であり、危険と隣り合わせである。投縄、揚げ縄のときは休みはない。全員で作業に取り組む。3000本もの釣り針を垂らして、すべてに獲物がかかることはない。100本に1匹のマグロがかかっていればかなりの成績だ。一本もかからないことだって稀ではないのだから。投縄、揚げ縄は一度で終わるわけではない。船腹に一杯になるまでやり続ける。遠洋の場合、1日1回の操業で、年間250~270回くらいは投縄、揚げ縄を行う。つまり、一つの航海に1年はかかる。近頃ではマグロの遠洋船に乗り組む人は減っていて、しかも高齢化している。1年も海の上にいるのは楽ではない。
操業の最中、海がしけて大波が甲板に打ち寄せることだって稀ではない。ある遠洋の船では大波が7人の甲板員を全員、海に運んでいったこともあるという。
海や天候だけが敵ではない。釣り針にかかったマグロを狙うシャチがやってくる。日本近海にはいないとされているが、遠洋漁業では出会うことがある。シャチの体長は6メートルで体重は10トン近い。シャチは海の帝王で、鯨を襲うこともある。延縄にかかったマグロはシャチにとっては枝についている果実みたいなもので、何の苦労もなく、飲み込んでしまう。延縄船では「シャチまわし」と呼んで、その来襲に恐れおののく。せっかくの獲物を頭だけ残して食べてしまうのがシャチだ。
シャチに劣らず、サメも厄介だ。延縄には時折、サメがかかる。サメは生命力が強く、死んでいても足にかぶりついてくることもある。実際にサメにかまれた船員もいる。カジキもまた恐ろしい。カジキの上あごは剣のように伸びている。これを吻と呼ぶ。甲板に揚がったカジキの吻に突かれてケガをした者も少なくない。
釣り針による事故もある。投縄、揚げ縄の際、釣り針が手に引っ掛かると、手の甲が引きちぎれてしまう。頭や目に刺さった例もある。釣り針の長さは3寸(約9センチ)から5寸(約15センチ)。鋭いカエシのあるマグロ針を漁師たちは「地獄針」とも呼ぶ。
それほどのケガをしても、医師が乗船しているわけではないから応急処置しかできない。サメやカジキにやられたり、釣り針でケガをしたら、近くの港に行くまでの数日間、薬を塗り、包帯を巻いて船室で寝ているしかない。
しかし、それだけの危険があっても漁師は延縄漁に出ていく。マグロは高価だからだ。体重200キロのクロマグロであれば1匹、数百万円はするものもある。しかも、「一本釣り」と「延縄」で獲れたマグロは巻き網で獲ったものよりも1キロあたりの価格が2倍から3倍になる。
ラインホーラーを発明した泉井安吉は延縄船に乗り組んでいたから、船の上での作業と生活をよく知っていた。安吉は漁師たちのためにラインホーラーを作った。自分の利益のためではなくマグロを揚げる仲間たちのために作ったから、日本と世界のマグロ漁師が支持したのである。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月30日号)の一部を再編集したものです。