話し合いでは解決しない

――国民意識もアップデートが必要ですが、何から始めればいいのでしょうか。

それぞれの分野ごとに当然違った面が必要になるとは思うのですが、一丁目一番地で言えば、国民に安全保障に対する関心を持っていただく、ということになるのではないでしょうか。

つまるところは教育の話にならざるを得ないのだと思いますが、現状では安全保障と言っても何のことだかわからず、戦争と言えば第二次世界大戦のイメージで止まってしまっています。

沖縄戦は悲劇だ、東京大空襲は悲惨だというのは全くその通りで、悲惨でない戦争はありません。必ず誰かが命を奪われるのですから。しかし「悲惨だね」で終わってしまっては、何の教訓にもなりえません。「悲惨だから、もう二度と起こさないように戦争について考えるのをやめよう」という思考停止に陥ってはいけないのです。

「軍事力がなくても、話し合いで何とかすべきだ」という声も根強くありますが、話し合いだけで解決しないからこそ難しいのであり、そもそも話し合い(外交)と、いざというときの備え(軍事)は対立関係にはありません。

そのあたりのことを、まずはきちんと理解して、そのうえで自衛隊という組織がなぜ必要なのか、「戦える自衛隊」であることにどんな意味があるのかというのを考え続けていかなければならない。それは防衛省や自衛隊をどんな時も擁護するというのとは違って、やはり健全な批判も必要になります。

やっぱり改憲すべきなのか

――「抑止力強化というが、抑止が破られたらその後は軍事力の行使になるんだ! だから抑止力強化そのものに反対する」というような意見を目にするとこちらも「話し合いの余地がない」と思ってしまうのですが、それではいけませんね。

今必要なのは、紋切り型の言葉で相手を批判することではなく、相互のリスペクトではないかと思います。政治的な立場はいろいろあっても、平和な暮らしを願っている点では一致しているはずなので……。国家間でも抑止と対話は対立関係にはないのだから、同じ国民同士、意見が違っても互いをリスペクトして話し合うところから始めるしかないと思います。

憲法議論もどうにも低調ですが、やはり憲法9条があることで対処が難しくなっていることはさまざまあります。憲法に自衛隊を組み込まないまま、解釈で幅を持たせてここまで来てしまった。本来なら改正すべきですが、国民も解釈で幅を持たせるという方針を受け入れてきた。そのせいでひずみはどんどん大きくなっています。

一方で、憲法9条の実績というものも無下にはできないし、改憲論も手段と目的をはき違え、「変える」こと自体が目的化したような議論もあります。