ロシアのウクライナへの軍事侵攻が続いている。国際法・防衛法政研究者の稲葉義泰さんは「軍事的に非合理的な戦争でも起きてしまうことが露わになった。そんな時代の中で自衛隊は何のためにあるのかを、いま一度考えるときに来ている」という――。(後編/全2回)(インタビュー・構成=ライター・梶原麻衣子)

「ロシア・ウクライナ戦争」における最大の衝撃

(前編より続く)

――ウクライナ戦争が勃発してから2年半。内戦や紛争ではなく、国家間の大きな戦争が起きてからの過程を目の当たりにして、日本国民の安全保障意識に変化はあったのでしょうか。

【稲葉】確かに何らかの変化はあったのだと思います。ただし「戦争は本当に起きるものなのだ、それに備えなければならない」というところまで行っているかと言えば、それはわからないところで、やはり無関心の方が大きいのではないでしょうか。

無関心、というのは必ずしもニュースを見ない、全く知らないということではなく、「情報に接してはいるけれど、自分とは関係のないことだととらえている」姿勢を指します。例えば岸田政権はウクライナ支援策にかなり力を入れていますが、国民からの評価にはつながっていません。

ウクライナ戦争に関する報道量は多いのでしょうし、今はネットでも情報を得られます。SNSでも、言及している人は少なくありませんが、しかしその中身はどうかと言えば、「ロシアもウクライナもどっちもどっち、喧嘩両成敗」といったものも少なくありません。しかしこれは実際には「国際法を破ったのは誰か」という非常にクリアな話で、どっちもどっちにはなりえないのです。

また、さらにその先に進んで「我が国も当事国になるかもしれない。準備しておかなければ」という意味で意識している人はそう多くはないように思います。どこか他人事。やはりウクライナは地理的に遠すぎたのかもしれません。

専門家は「まさかやるはずがない」と思っていた

――実際にはロシアという日本の隣国が、反対側の隣国であるウクライナに侵攻したという話なのですが、そういう捉え方はできていないですね。

ウクライナ戦争の衝撃は何かと言えば、軍事的合理性から考えれば起こさないはずの戦争を、国家の指導者の決断一つで起こしてしまったことです。

海軍パレードでのウラジーミル・プーチンとセルゲイ・ショイグ。サンクトペテルブルク、2017年7月30日(写真=Presidential Press and Information Office/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
海軍パレードでのウラジーミル・プーチンとセルゲイ・ショイグ。サンクトペテルブルク、2017年7月30日(写真=Presidential Press and Information Office/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

軍事の専門家からしても、当初は「まさかやるはずがない。脅しだろう」と思っていたものが、「あれ、まさか本当にやるつもりか」と言っているうちに、本当に始まってしまいました。

我々はどこかで「そうはいっても国家の指導者は合理的な判断を下すだろう」と思っていたのですが、ロシアの場合はそうではなかった。ましてや21世紀に入ったこの世界で、あれほど原始的なやり方で戦争をするのかと。大量虐殺まで行っていますし、現代の常識では考えられないような事態になっています。